古本屋の覚え書き

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北朝鮮拉致家族に思う

 10月15日、北朝鮮によって拉致された5人が帰国した。早いもので、もう20日以上が経つ。これまでのニュースを私は新聞(読売)でしか知り得てない。テレビニュースは全く見ていないので、見当違いな箇所があればご指摘願いたいことを初めにお断りしておく。


 国交正常化を目指し、北朝鮮側が拉致を認めたものの、8名の方は既に死亡していると伝えられた。この情報を直ちに公開しなかった外務省と、無責任極まる北朝鮮の態度に対して、国民感情は一気に加熱した。


 日本政府はこの問題を20年以上にわたって放置し続けてきた。マスコミもまた然り。そして、あなたと私もまた然りである。私達は、今まで拉致された方々の家族の心情を思いやることなく、自分の好き勝手を行ってきた。そして今、拉致という事実が明るみに出た途端、一端(いっぱし)の意見を述べて、評論家面(づら)してみせるのだ。何という平和な国だろう!


 革新系の政党に至っては、北朝鮮による拉致を認めない発言をして平然と構えていたことも既に報道されている。日本万歳!


 帰国したばかりの記者会見では多くを語らなかった姿が印象的だった。北朝鮮の政治コントロール下に置かれていることはハッキリしていた。その意味では、帰国しても尚、彼等は拉致され続けてきたといえよう。


 それでも新聞の写真で見る彼等の表情は喜びに満ちていた。


 彼等のこうした表情に嘘はなかったことだろう。また、家族との劇的な再会シーンに目をうるませた人々も多かったに違いない。


 以下、読売新聞からいくつかの記事を拾い出してみよう。

【浜本さんの兄・雄幸さん】皆さん、どうもありがとうございます。「迎える時には、どういう感じ(になりそう)ですか」と聞かれましたが、「兄弟8人で明るく迎えてやりたい」と言いました。私の思った通り、肉親のきずなは非常に心強く思いました。すぐにパッとうち解け、富貴恵の笑顔が出てきた。兄弟のきずなが強く結ばれているな、とうれしく思いました。良かった。兄弟8人で迎えたのが本当に良かった。

【地村さんの父・保さん】国民の皆さんに支援をしていただきまして、一時の帰国にしろ、元気な顔を見ることができました。静かに迎えてやろうと思っていましたが、私らより活発に笑い声を出して、かえってこっちが励まされたりするような状態でした。これから、できるだけ朗らかに、笑いを一層深めるように接してやりたいと思っております。

【地村保さん】私が思っていたのとは逆で、「とうちゃん、年の割に元気やな」と言われて、こっちが抱きしめようと思っていたのが、反対に抱きしめられました。


 これらは帰国した直後の記者会見で。


 続いて、曽我ひとみさんが新潟に帰り、父上と再会した記事。これなんぞは涙なくして読めないものだ──

 めったに着ない背広を身に着けた父は新潟県佐渡島の自宅の庭に立って、娘の帰りをじっと待っていた。午後4時30分過ぎ。自宅前にバスが横付けされると、出迎えの人の輪からどよめきが上がった。バラやユリの花束を抱えた紺のスーツ姿の曽我ひとみさん(43)が降りてきた。ほおが少し赤くなっている。最初の一歩を踏み出すのをためらっているかのようだ。その視線の先に、70歳の茂さんの姿があった。「来たっちゃ」と父はつぶやいた。
 目を真っ赤にしたひとみさんが歩き出した。茂さんも一歩、二歩とよろけるように前に進む。その足が止まった。
 父は「ご苦労だったな」と言葉をかけた。「父ちゃん待っとった」。娘を抱き寄せた。二人は抱き合い、声を上げて泣いた。「よう来てくれた。ありがとうな」。父の言葉に、娘はしゃくりあげながら、首を振るだけだった。


 そして、町役場でひとみさんが記者会見で読み上げたメモ。


「今、私は夢を見ているようです」。はっきりした日本語だが、たどたどしさも残る。「人々の心、山、川、谷、みな温かく美しく見えます。空も、土地も、木も、わたしにささやく。“おかえりなさい。頑張ってきたね”。だから私もうれしそうに『帰ってきました。ありがとう』と元気に話します」。


 この言葉に嘘はないだろう。北朝鮮がどんな風に彼等をコントロールしようとも、人間としての感情まではコントロールできまい。他国の人間を誘拐同然の手口でもってさらってゆくような国である。あらゆる手を使って彼等をコントロールしたに違いないだろう。彼等が、目の前で同胞が殺される場面を見せられたとしても私は驚かない。いずれにせよ、国家という装置がその意志を行使しようとする時に暴力をためらわないのは、古来、権力の常套手段だ。拉致されていった彼等は、心を死なせるしか生き延びる道はなかったことだろう。その程度の想像力も持ち合わせないで報道するマスコミは唾棄すべき存在でしかない。なかんずく北朝鮮に対する敵対感情を煽る週刊誌こそ、北朝鮮にさらっていって欲しい最たるものだ。


 帰国した5人の言葉に込められているのは、止み難いまでも望郷の念であり、家族に対する思慕であろう。今の日本には、どこを探しても見当たらない感情である。マイホームを手に入れるためとあれば、故郷なんぞはうっちゃって、造成された郊外へすっ飛んでゆくようなのばっかりじゃないのか? はたまた、親は自分のお腹を痛めて生んだ子を殴ったり、蹴ったりし、あまつさえ、熱湯をかけたりするのが登場する始末。そこまでしないにせよ、世間体のため、そして自分の安泰な老後のために、子供を勉強づくめにした挙げ句、自由を奪い取り、親の思いのままにしようとする浅ましい姿は「拉致」そのものではないのか?


 拉致された彼等が20数年振りに帰国し、思いの一端を披瀝した言葉の数々は、忘れていた日本人の感情を呼び覚ました。北朝鮮の思惑はここにおいて見事に外れてしまった。


 日本政府は5人を北朝鮮に返さないことを決定。5人は北朝鮮に置いてきた家族に思いを馳せ、新たな苦悩を抱えることになる。逆拉致ともいえる今回の決定によって、彼等の親が20数年間にわたって苦しみ抜いてきた心情を、今度は彼等が味わうことになった。これを宿命と呼ばずして何と表現すればよいのか。


【付記】以下のコラムを参照したことを付け加えておく。国見氏のコラムの方が断然、素晴らしい。


国見弥一の銀嶺便り
大西赤人/小説と評論
第1部 曽我事件証言編−新潟日報