古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

目撃された人々 13

 今回は人ではなくてモノ。


 家の前の信号を渡って、左側の路地に入ると右手に花屋がある。JR亀戸駅に向かう際、必ず通るコースだ。以前は吹けば飛ぶような建物だったが、いつしかマンションが立ち、その1階に店舗があてがわれていた。


 私が亀戸に住んでから15年が経過するが、ここで花を買ったことは過去に一度しかない。人の好さそうな主だったと記憶する。


 今朝、何気なく店に目をやると、「合い鍵、作ります」と小振りの看板が据えられていた。「うん?」瞬時に疑念が湧く。どういうことだ? 折りからの不況で、花屋だけでは食ってゆけないということなのだろうか? 合い鍵を作る機械でも買ったのかしら? などと想像している内に亀戸駅に辿りついていた。


 何か面白い臭いを私は嗅ぎ取っていた。総武線の乗り込むと、品の好い小綺麗な女性が立っていた。「ミス“つつましさ”」と私は呟いた。但し、声を掛けるほどの勇気は持ち合わせていない。この年になるまでナンパをしたことはただの一度もないのだ。ナンパされたことは一度だけある。年甲斐もなく胸がキュンとなった。思わず赤面しそうになる。その瞬間、「あ!」と私は思い当たった。「ははぁーーーん、あの花屋で花を買って、女性にプレゼントすれば、相手の女性から合い鍵を作ることを許されるってえワケだな!」。そんな花屋の主の思惑があると考えるのは私の想像力が豊か過ぎる証拠だろうか。


 電車を下りて、歩きながら煙草をくわえた。肺一杯に紫煙を吸い込むと、再び胸が疼いた。美しい女性は既に目の前から去っていた。胸だと思ったのは私の錯覚だった。それよりも少し低い位置だった。疼いたのは十二指腸潰瘍だった。


目撃された人々