古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

「[書評]のメルマガ」を斬る

[書評]のメルマガ」をご存じだろうか。


 それほど面白いわけでもないんだが、間接的な知人(つまり直接は知らない)がいることもあって惰性で購読している。まあ、内のマガジンと扱う書物のジャンルが異なることもあって、大して面白くもなければ、参考にすらならないというのが実情である。しかーーーしっ、部数は負けていることをご報告しておこう。


 ここのvol.31に私の知り合いである八方美人男氏のサイトが紹介されていた。


八方美人な書評ページ


これは「書評サイト探検隊」という連載の第1回目の講評で、

「玉石混交」の書評サイトを探検して、そのなかからめぼしいものを取り上げて評してしまおうという暴挙に出ることにした。「めぼしい」ものの規準は、ない。


 というのがそもそもの狙いらしい。書き手はグッドスピードという編集経験のある人物。年齢は私よりも若い。

「八方美人男」と名乗るさして美しくもなさそうな人が個人で運営している書評サイトである。そのタイトルどおり「読んだ本は意地でも褒める」がモットー(「八方美人宣言」は必読。これは美しい宣言です)。そんなふざけた試みが面白そうだが、書評を読んでみるといたって真面目である。


 軽薄な修飾語をふんだんに使い、書評と関係ないことをあげつらうところにこの人物の人間性がよく出ている。会ったこともない人に対して「さして美しくもなさそうな個人」などとはよく書けたものだ。思い上がった視点からは、まともな評価など期待できるはずもない。

 いずれもしっかりと読んだうえでの書評であることが生真面目過ぎる文章からうかがえるし、決して皮肉まじりの褒め殺しではない。世にあふれる安易な罵倒より、生真面目に褒める行為は、読まずにいた本に対して世評とは違った角度から出会わせるという点で評価できる。


 読みにくい文章である。手放しで褒めることができない捻(ねじ)れた気質によるものだろう。あるいは、こき下ろすことによってしか、自分の優位性を表現することができないのかも知れない。

 しかし「意地でも褒める」の意地が書評からいまいち感じられない。「つまらない、駄目だ」という世評に対する反論を説得力をもって語ることができれば、読者はその本がどういう本なのかよくわかるのだ。もっと肩の力を抜いて褒めていいんじゃないかしら。そうすればもっと面白い書評になると思うんだけど。


「もっと」の重複が目立つ。でもまあ、ここらあたりは真面目な意見なんだろうね。


 素人がその文章の巧拙に関わらず書評が許されるのは対価を払っているからに他ならない。また、対価を支払わなかったとしても、「こんな代物を売ろうとしている」ことに対する反論という見方もできる。だが、ネット上の素人のページに対して、プロがしたり顔して意見するのはどうなんだろうねえ。現状よりも好いものになって欲しい、育ってゆくことを期待するという姿勢であればともかく、噂話程度の内容を公表するという神経が私には理解できない。


 八方美人男氏は、私がネットにつながって以来の知人である。私より若いが、その書評には随分と啓発されてきたものだ。そういう個人的感情を込めてこの一文を書いたことを付け加えておく。