目撃された人々 12

 ストレスを溜めない方法の一つに「電車に乗らないこと」を挙げる人が多い。紳士然とした人物が電車に掛け込むなり空席を血眼(ちまなこ)になって探すような仕草や、頭の悪そうな学生が長い脚を通路に放り出している態度や、込み合った車内で、カサカサとなった皮膚を覆い隠すために、大量の化粧品が塗ったくられたオデコに汗が浮いているのを目にした時などは、確かにそう思う。


 人生を支える大事な要素の一つに「自立」がある。しかしながら、満員電車の中では「自立」することは不可能だ。周囲の揺れに身体を任せるのが最も賢明な選択である。大体が逆らおうとしたって逆らえるもんじゃない。ひょっとしたら、満員電車は国民を無気力にするための有効な政治的策略なのかも知れない。アウシュヴィッツ強制収容所に送られるユダヤ人だって、これほどのすし詰めではなかったことだろう。


 冬の雨に祟(たた)られた日のことだ。平日の正午近い時間ということもあり、電車内は空いていた。私の右斜め前に座っていた若い女性がバッグの中から鏡を取り出した。結構デカイやつだ。台座がついていて直系は15センチほどもあろうか。ひたと鏡に見入るや女は突然、化粧を始めた。「無駄な抵抗はやめろ!」。拡声器が手元に無かったために、舌打ちをかましておいた。が、意に介する様子は全くない。私は瞳に力を込めて「馬鹿な女め」光線を発射した。しかし、これも効き目ナシ。


 女は小さなブラシのようなもので、まつげに色を塗っているようだった。彼女の目に映っているのは自分だけだ。電車内のことはおろか、社会や世界などは全く目に映ってないのだろう。自分の将来すら映ってはいないだろう。どうせ関心があるのは自分の顔だけなのだ。彼女が母親となっても、そうした性癖は変わらないだろう。そうでなければ、衆人環視の中で化粧などできるはずがない。赤ん坊が泣いていても、化粧を続けるのだろう。成長期の子供が悩みを抱えていても、化粧を優先させるに違いない。そして、化粧をもってしても誤魔化すことができない年齢になった途端、彼女の人生は終焉を告げるのだ。医学の恩恵を夏の太陽のように浴びて、彼女は想像以上の長生きをする。棺桶(かんおけ)の中に静かに横たわる彼女の顔には化粧が施され、幼児が描いた落書きみたいになっていることだろう。


 まつげにたっぷりと時間をかけ終えた女は次の化粧品を取り出す。まだまだ、年若い女だったが、目の下の隈(くま)は化粧品をもってしても隠し切れなかった。この女が求めてやまない美しさとは、心の貧しさを不問に付すものであり、つつましさとは縁のないものだった。その内、電車内で下着を取り替える女性が現われるようなことになるかも知れない。


 と、そこへ、10代後半と思われる少年が威勢よく歩いて行った。一目で、頭の発達が遅れていることがわかる少年だ。少年は「ガチャン、ガチャン」と叫びながら意気揚々と足を踏みしめる。電光の案内に文字が出るや否や、彼は直ぐさまそれを読み上げる。「次は千駄ヶ谷」。一息遅れて車内アナウンス。少年は得意げな顔をした。「Next Sendagaya」と英語まで読み上げる。私は頬を緩めた。初老の婦人が顔をしかめた。一仕事終えた少年は窓外の風景を見つめ、無気力な顔に戻る。


 人前で化粧をする愚かな女と、いくらかの障害があっても一人で電車に乗れる少年。彼等を取り巻く人々はどんな人達だろう。彼等が泣いたり、笑ったりするのはどんな時なのだろう。そんな思いがよぎった瞬間、雲間から光が差した。


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