冷たい雨が降っていた。雨の日は長靴に限る。そうでなくても私が履くと似合うと言われるのだ。「ヘルメットも似合いそう」とよく言われる。「耳元に鉛筆なんぞ差していれば完璧ですね」とまで言われる。
まあ、人相風体があまりよくなくて、体格がそれなりにガッチリしていて、態度がでかい人間には長靴が似合うものだ。私の場合は例外で、これらの条件はどれ一つ当てはまらないことを明言しておく。
人間というのは大事な時になると性根や本性のようなものが現れやすくなる。スポーツを経験した方であれば、よく理解できると思うが、最初っから順調にチームワークなんぞが出来た試しはない。試合前の緊張や不安から、意見の相違や考え方の違い、はたまた口の利き方などが気に障り、ぶつかり合うことは決して珍しいことではない。その向こう側に一歩前進がある。
私の場合、大事なことがあると極端に気が短くなる。火傷(やけど)しそうになるほど吸い切ったショート・ピースぐらいの短さになる。更に悪いことは、堪忍袋の緒が細くなることだ。
大事な用があって私は電車に揺られていた。この日を迎えるまでに私の短気は充分過ぎるほど研ぎ澄まされていた。
とある駅で男子高校生の4人組が乗り込んできた。ぺちゃくちゃと喋っている内に、おとなしそうな一人がピシャピシャと冗談っぽい様子で叩かれていた。トホホ顔で笑いながら「やめろよー」と言うのだが、二人組の手は止まらない。顔や頭を叩いている手が拳(こぶし)になった。「イジメかな?」とは思ったものの私は静観していた。拳骨(げんこつ)が目に当たった。トホホ顔は真面目な顔つきで「痛ってえなー、やめろよ!」と言った。途端に二人のやり方は、今まで以上にエスカレートした。
後ろにいた乗客が殴り続ける高校生目掛けておもむろに蹴りを入れた。それも、サッカー選手がフリーキックをするような勢いでだ。「うるせえーぞ、くぉらぁー!」。4人組は凍りついた。シンと静まり返った電車内で「すいません……」という高校生の小さな声がやけに大きく聞こえた。男は、やり過ぎを反省したように「悪ふざけするんじゃねぇーぞ」と言い残し、長靴姿で去って行った。
口に平和を唱えながら、激する感情に負けやすい男は胸の内で呟(つぶや)いた。「悪いのは俺ではない、この足だ。この足が勝手に……。まあ、せめて革靴を履いてなかったことに感謝しておこう」。