古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

『ゆきゆきて神軍 製作ノート+採録シナリオ』原一男・疾走プロダクション編

とんだ馬脚を露呈した悪趣味極まる暴露本


 全編これ愚痴一色である。奥崎謙三に対する原監督の恨みつらみが、これでもかと書き連ねられている。客観的に見れば、映画『ゆきゆきて、神軍』の言い訳と受け取れる。監督にとっては余りにも不本意な作品だったのだろう。本当だったら、こうしたかったのだ、という後悔の念がひしひしと伝わってくる。その理由の大半を奥崎本人におっかぶせているところが何とも情けない。映画監督であれば、映画で勝負すべではないのか。それをウジウジと泣き言を並べ立てるなんてえのは、実に男らしくない所業である。


 映画『ゆきゆきて、神軍』の真相は、カメラを意識した奥崎がサービス精神旺盛に過剰な演技をしてみせた、ということらしい。奥崎は最初の内は下手に出ておいて、徐々に監督を見下すような発言をするようになる。どうやら、奥崎のことを“先生”と呼ばなかったことが気に入らなかったようだ。相手が相手だけに原監督もかなりの忍従を強いられた。アナーキーな道化師にしてやられたってえわけだ。


 驚くべき事実が記されている。残留隊隊長であった古清水の殺害シーンを撮影するよう、奥崎が監督に頼み込んだというのだ。これに対して原夫人が「それだけはやめて欲しい」と涙ながらに訴え、事なきを得る(その後、小清水の息子を射殺未遂)。監督としての葛藤が書かれているが、この業界のモラルの無さがよく窺える。彼等は“絵”にさえなれば、どんなことでも望むのだ。センセショーナルな話題を世間に提供した上で、あわよくば一攫千金を狙っているに違いない。賛否両論が沸騰すればするほど、“名前”の認知度も高まることだろう。


 下らない連中の下司なまでの人間模様。ここには信念もなければ、思想の片鱗も窺えない。人々の欲望にどうやって火をつけようかという魂胆しか見られないのだ。


 生の映像であっても、編集されることによって、いくらでも美化することができるという教訓を得ることができた。後味は最悪だが、真偽に対する嗅覚を鋭敏にするためには、それ相応の教科書といえなくもない。


・『ゆきゆきて、神軍