編集部メーリングリストで読点の話題が出た。迂闊なことに私が気づかなかったことを教えてもらった。何通かのやり取りの中で
「文は人なり、文は一字一句、句読点の付け方まで、ひとの表現である、ということを尊重すべきであろう」
との指摘があった。私は直ぐさま、勧められた『日本語の作文技術』(本多勝一著:朝日文庫)を買い求めに行った。
技術書の翻訳をしている某氏のもとへは「同書にのっとって翻訳するように」という注文までつけられる場合があるという。
早速ページをめくると第4章に「句読点の打ち方」とあった。まあ、色々書かれているのだが、驚いたのは「思想の最小単位を示す自由なテンがある」という記述だった。尚且つこれはゴシック体で表記されていた。
もちろん全てにこれが当てはまるなどとは思わないが、普段は考えたこともなかっただけに、ちょっとした発見であった。
テンといえば山本周五郎を思い出す。
「文学に純文学と大衆文学の区別はない、あるのはただ良い小説と悪い小説だけ」と語り、「読者から寄せられる好評が真の文学賞」との信念から、直木賞をはじめとする全ての文学賞を固辞したエピソードは誰もが知っているだろう。
最後の作品『おごそかな渇き』(新潮文庫)は完結を見ずに絶筆。そのラストはこうだ。
しみとおるように、すがすがしい山の空気と、高い流れの音を聞きながら、川にまだそんな魚がいる、という感動にひたっていた。
――日本の近海から魚類がいなくなり、インド洋やアフリカや地中海まで魚撈にでかけなければならい、
連載中だった朝日新聞日曜版には句点「 。」で掲載されたらしいが、生原稿は読点「 、」で中断されていたという。
昭和42年2月14日午前7時10分、周五郎はこの原稿の傍らで逝った――。
何気なく打っているテンも、思想の自由どころか、大作家の人生の結末まで表していることになってしまう。
さて、作家としての人生を読点で終えた周五郎は黄泉路(よみじ)でどんな顔をしたことだろう。書きかけの原稿を心配して思案顔であったろうか。それとも、作家として書き続ける途上で生を終えたことに満足して微笑んでいたであろうか。
【※山本周五郎の最期に関しては『あの人はどこで死んだか 死に場所から人生が見える』(矢島裕紀彦著:主婦の友社)を参照した】