ゲーテ


「今日を生きた」――こう言える日が人生で何日あるだろうか。仕事に追われ、家事に追われ、生活に追われる。不本意な一日があっという間に過ぎ去り、人生から容赦なく時間が奪われてゆく。人の一生が一日一日の積み重ねであるとすれば、今日一日の生き様に人生があるといってよい。とは力んでみるものの、寝不足で朦朧とする目覚めに始まり、酒盃を煽りつつ今日を振り返ることもなく、まどろんでしまう。酔生夢死とはよくいったもんだ。駄目だね、これじゃ。


 残尿感のようなものがつきまとう人生は不幸この上ない。人生の折々の季節に、やり残したことはないだろうか。吾が輩は“青春の夏”が過ぎ、初秋にかかろうとする年齢となったが、目に見えぬ不安が群雲のように感ぜられることがある。それは為すべき変化を為し遂げていないもどかしさに似ている。

 生きているあいだ 何事も先へのばすな、
 きみの生は行為また行為であれ


【『ゲーテ全集8 ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』登張正實〈とばり・まさみ〉訳(潮出版社、2003年)】


 痺れる一言である。折からの心理学ブームのせいでこれに反論される方も多いだろう。何もせずリラックスする時間が大切だとか、そんなことやってると強迫神経症になっちまうとか、ストレスがたまる一方だなどという批判もあるだろう。しかし、私はそうは思わない。


 限られた人生を充実の輝きで満たすためには自ら行動するしかない。やらされているだけでは駄目だ。自分が選び取った行動を積み上げてゆくのだ。失敗したって構うものか。他人の人生を生きているわけではないのだから。


 理想を失い、自分すら見失いかねない時代である。なりふり構わず、体当たりで挑戦、また挑戦するぐらいの気概があって丁度いい。


 若人よ、考える前に跳べ!


ゲーテ全集〈8〉小説―ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代