「走る階級」BORO


 昔はよく音楽を聴いた。寝る前などは必ずと言って好いほどLPレコードに耳を澄ませたものだ。思春期の多感な生命は、音楽や書物によって信じられないほどの振幅を示した。自分がドラ声のせいか、声の大きな歌い手が好きだ。最近だと、新井英一伊藤多喜雄。少し前だと、山田晃士(やまだ・こうし)、JACK KNIFEのリード・ヴォーカル、和気孝典(わき・たかのり)といったところだ。吉川晃司も昔から好きなんだよなー(私は自分より胸囲が大きい人間を無条件で尊敬するという癖がある。因みに私は98センチ)。海外だと、ミック・ジャガーボビー・ウーマックなど。当然ながらゴスペル、ブラック・ミュージックを好む。


 そんな私が10代の頃から愛聴しているのがBOROだ。ヒット曲は『大阪で生まれた女』と『ネグレスコ・ホテル』のわずかに2曲。『大阪で生まれた女』は、私の場合、専らショーケンが歌ったモノを聴いていた。ある日、ブラウン管で初めて目にした。直立不動でギターを抱えた姿に「随分、無骨な男だな」という程度の印象しか残らなかった。それから数年後、FM放送で『罪』と『愛』という2枚のアルバムに収められた曲が数日間に亘って紹介されいた。「これだ!」って思ったね。運命を予期させる一瞬の出会いだった。野太い声、黒人顔負けのスキャット。生活の臭いの強い歌詞は貧困と孤独を赤裸々に謳い上げる。また、ある時は、異国の物語風に洒落っ気のあるドラマをスケッチする。ヒットしそうにもないB級感覚がたまらない。恋愛を絵空事の美しさで覆い隠した今時のヒット曲とは、性根の据え方が違う。


 セカンド・アルバム(廃盤:タイトルも判明せず。私が所有しているモノは見本盤)に収められた「走る階級」という歌詞を紹介しよう。

「走る階級」


 親父はあの朝
 アルミの弁当箱を乗せて
 自転車で町工場へと向かった


 朝の八時になれば
 サイレンがせかす人の暮らしを
 母親は子供たちを外へ追い出した


 太田のお爺ちゃんが
 孫のタカ坊を乳母車に乗せ
 干からびた思い出を語りにくる


 少女はシルクのドレスに包まれて
 それは優雅なもの
 光る妖精のような少女は


 垣根の向こう 芝生の上で今日も走っている
 でも あの子は優雅に走る階級


 ロバのパン屋は
 一日一度広場に来るけど
 ねだれない暮しは知っていた


 泣かずにはいられない
 多くの夜を過ごして
 人は人 夢を持てと教えられた


 それでも毎日が 楽しかったのは
 あの少女のおかげ
 いつも通り過ぎるだけの少女の家


 ある日 少女は シルバー・グレーのジャガーに乗せられて
 俺の前を優雅に走り去った


 俺のいる階級は ただガムシャラに走る階級
 でも あの子は優雅に走る階級


 ミディアム・テンポのナンバーである。出だしのブルース・ハープがもどかしい心情を切々と掻き鳴らす。自立に向かって揺れ動く少年の屈折した情感は、感謝と卑下の間をさまよっていた。憧れと現実、抑えられない思いとそれを抑え付ける社会。金持ちの家の庭に咲いた美しい花を覗き見るような心境だったのだろうか。自分がいる場所からそれは確かに見える。だが、決して手が届かない世界に咲いた花だった。遠くから見るだけで満足しようとする心が、哀しさを一層、際立たせる。夢とは程遠い距離に身を置きながら、少年にとっては黙って生きてゆくことにさえ、必死さを要求された。


 そんな時代が少し前までは確かにあった。生活の不如意などという言葉は飽食の時流によって遠い過去へ流されてしまった。


 曲を聴くとわかるが、卑屈な叫びでありながらも「ガムシャラ」に生きる者の覚悟を、自分自身に言い聞かせる姿勢を感じるのは、少し贔屓(ひいき)が過ぎるであろうか。

追記


 入手可能となった! 朗報である。興味がある方は直ちに買うべし!



ゴールデン☆ベスト
ゴールデン☆ベスト BORO


2005-11-27