古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

公衆便所のウンコをプロファイリングする


 それは衝撃的な現場だった。目撃者はこの私だ。昨年の暮れに遭遇した何とも不可解な光景だった。


 私は幼少の頃からオシッコが近い。医学的には頻尿と言うらしい。頻(しき)りにオシッコ、頻繁にオシッコ、ってな意味でしょうな。頻尿の上に貧尿という噂まである。それはともかくとして――。


「ウウ、さぶ〜」と震えながら私はやっとトイレを探し当てた。江戸川区のとある公園内に設置されたトイレである。「ひゃあ〜」とか「オシッ」とか独り言を言いながらドアを開けた。「オウ、ゴッド!」。トイレ内の足元にはウンコが垂れ流されていた。恐る恐る足を踏み入れ、なるべく見ないよう務めながら、そぉーっとファスナーを下ろし、用を足す。「勘弁してくれよな〜。俺様が一体何をしたってえんだよ〜?」とぼやきつつも、オシッコが出る量に正比例する安堵感を隠すことができなかった。当然ではあるが、かくの如き状況下においては鼻で息をすることは許されない。


 一歩外へ出るなり、私は冷静な眼で現場を検証した。和式の便器なので、ドアを開けた直ぐ前は一段低くなっている。便器はドアと直角に位置しており左側にあった。証拠物件は前方の壁にも付着していた。つまり容疑者はドアから入り(←当たり前だろが!)、左向きに旋回し、便器の位置を、時計の針の12時部分とすれば、4時か5時あたりにケツを向けたと想定される。角には排水溝の穴があった。私はパイプをくゆらせる恰好をし、伸ばせばそこに存在したであろうヒゲを撫でてみせた。足りないのは安楽椅子とパイプのみ。アッ、と気がついた時には既に鼻で息をしてしまっていた。「オエ〜ッ!」。


 その時、頭の中の電球にパッと明かりが灯(とも)った。瞬時に人差し指を立ててみせる。「ホシ(犯人)は女だ!」。『太陽に吠えろ』のテーマ・ミュージックが鳴り響く。振り返って見たが“山さん”も“殿下”もいるはずがなかった。私は現場を離れた。見るべき物は見たし、嗅がなくてもいいものまで嗅いでしまったのだ。後は、灰色の脳細胞が事件を解決に導いてくれることだろう。


 壁に付着した証拠物件が、犯人は女性であることを示していた。犯行は立ったままの姿勢で行われたはずだ。つまり、スカートをたくし上げて、ぶちまけたのである。スラックスであれば、返り血ならぬ、返りウンコを浴びることになりかねない。容疑者が男性だったと仮定しよう。便意を催した彼の脳裏には幼い日の忌まわしい思い出が蘇ったはずだ。遠足の道すがら、ウンコを踏んづけてしまっただけで周りから口を利いてもらえなくなった◯◯ちゃんの悲し過ぎる思い出が。そう、ウンコには限りない負のパワーが秘められているのだ。ましてや彼に年頃の娘がいたとしよう。翌日からは「糞オヤジ」から「文字通りの糞オヤジ」になってしまうのだ。そんなことが出来ようはずがない。つまり、だ。第一容疑者はスカートを着用した女性なのだ。


 灰色の脳細胞は目まぐるしく回転する。そして犯人は美人であったに相違ない。世間で美人と言われる女性の多くは、美人を演じる羽目に陥る。本当は、目鼻立ちが少々整った馬鹿な女もいるはずなのだ。しかし、そういう女に限って、人々の視線を猛烈に意識し、女性ファッション誌のモデル張りのポーズを気取ってみせたりするものだ。そこにストレスが生じる。常に仮面をかぶっていなければならない自分にウンザリし、やや疲れが見え始めた30歳前後の女性の犯行と見た。彼女は、好きでもない流行に右往左往し、そのための出費も嵩(かさ)んだことだろう。真面目に働く親を常々、小馬鹿にし、友達との会話はもっぱら彼氏が持つクルマや地位、輝かしい将来性などといったことに終始したであろう。そんなこんなに嫌気が差し、アルコールがそれを増幅し、生来の便秘気味の体質が追い風となった。その瞬間、彼女は公園のトイレのドアの前に立っていたのだ。


「私は美人でも何でもないのよ! こんなことだって出来るんだから!」。下腹部にほんの少しの力を入れただけで、彼女の心にも似た汚物が溢れ出る。カタルシスに包まれた彼女は「ケッ、ざまあみやがれ」と罵り声を漏らす。自らが下らない生き方を選んだにもかかわらず、彼女はあたかも犠牲者であるかのように錯覚し、恥の上塗りならぬ、糞の上塗りをしてしまった。


 そして、家路へと急ぐ影はマリリン・モンローそっくりの歩き方をしていたはずだ。


 というわけで、ホシ(犯人)は江戸川区内在住の30歳前後の美人女性である。お心当たりがある方は、当局、または雪山堂まで一報されたし。


 掃除する身にもなれっつーんだよ、コラ!


【※「便所に咲いた美しい花」に続く】