紋章


 権威は人を服従させる力を持つ。名誉、地位からブランド・マークに至るまでが何らかの力を持っている。人を欺くにはこうした力を利用するのが手っ取り早い。詐欺師なんぞは名刺を麗々しい肩書きで飾り、りゅうとした身なりで登場するに違いない。ブランド・マークを悪用した粗悪品が出回っていることも、しばしばニュースで耳にする。“お上”に盲従し、氏素性を重んじるような思考回路をした人間は恰好の餌食となるだろう。

 私は紋章だ。


 ヤクザがまほろ町に進出し、建てられたばかりの3階建ての黒いビル。それを飾る紋章である。


「死んでもともとだという覚悟のほどをまほろ町の全員に知らしめるために」掲げられた紋章。


 そして“紋章”の自己紹介。

 私は正面切って世間に逆らい、真っ向から法律に盾つく証しであり、無難な日常を拒否し、常識や良識から掛け離れた姿勢を殊更見せつける者である。そして、私のもとへ集まる男たちに、何よりもまずあこぎな策動家であることを促し、人間の所為とは到底思えないようなことの実行を命じ、仕損じることを絶対に許さず、敵対する一派の狡獪(こうかい)な相手の顔を常に熟視していなくてはならないと警告する。


 更にこの後の段にまで続く。ここで語られているのは現実ではなく、暴力団に抱いている世間のイメージである。ヤクザだって人間だから色々な手合いがいるに決まっている。根性の無いのもいれば、誠実なのだっているはずだ。だが、一般人からすれば、ここで綴られている印象を強くするだろう。


 如何にもといった常套句の使用によって、何の取り柄もない田舎町だった“まほろ町”に変化が訪れようとしている。


 紋章は声高らかに宣言する。

 私は荒っぽいもめ事の解決に明断をくだし、迷っている極道者には、必要悪の上に成り立つ、堂々たる現実であることを強調する。つまり、光に対する影、上水に対する下水であるという確然とした見解を示す。


 頼るべきは暴力のみという世界でありながら、しきたりや上下関係にうるさいところは、ダブルスタンダードの典型だ。彼等は社会に対してはぞんざいな態度を死守しつつ、組織に対しては忠誠を誓うサラリーマンそのものだ。


 ギラギラと光る紋章を目にした時、まほろ町の人々は理由もなく不安に駆られ、暗澹(あんたん)たる気持ちを抱いたことだろう。

 私が跳ね返す陽光を更に跳ね返すことができるのは、今のところ、難病に取り憑かれた者の真骨頂を発揮する少年ただひとりだ。


 世一は何者にも跪(ひざまず)かない。頭(こうべ)を下げない。自分自身に生きる者のみが持つ、自立という軸は揺るぎもしない。



千日の瑠璃〈上〉 (文春文庫) 千日の瑠璃〈下〉 (文春文庫)