黒いマントを羽織った誰かが、いきなり俺の前に飛びおりたのはそのときだ。
チャンピオンの栄光をつかんだ主人公が、網膜剥離(もうまくはくり)で視力を奪われた瞬間をこのように表現する。思わずため息が出た。巧い。ところどころに挿入されるボクシングのエピソードも見事な効果を発揮している。600ページもなんのその、読了に至るまで、本を閉じたのは一度だけだ。力のこもった秀逸なミステリである。
主人公は元プロ・ボクサーの桐山拓郎。盲目となった彼は、チャリティー・ショーへの出演や、講演活動を行っていた。カクテル光線の中から闇の世界へと不意打ちのように追いやられた拓郎は失意の日々を過ごす。障害者となった彼が微笑を浮かべて見せるだけで、人は善意を示し、拍手を惜しまない。「ミッキーマウスやパンダとどこが違うのだろうか」(15p)。卑屈な感情は、栄光が失われたためではなく、遣り場のない闘争本能を持て余していたためだった。
大掛かりなチャリティー・ショーの舞台裏で一人の男が殺される。発見した拓郎は確かにその部屋から出て行く人間を感知した。だが、テレビ局は病死として片づける。その直後には、ホテル内で再会した友が不可解な事故死を遂げる。チャリティー・ショーの背後には恐るべき黒い野望が渦巻いていたのだ。妻が同伴しなければ外出すらしようとしなかった拓郎が動き出す。光以上に失った何かを取り戻すために。
心配する妻に拓郎は語る。
「俺はこういう人間になっただけの話だ。目が見えなくて、誰かの助けがなけりゃあ生きられない人間になっちまっただけの話だ。だけど、目が見えねえってのは、友達に何にもしてやれねえってことなのか」
彼を動かしたのは、友達としての使命感だった。身体に、また、行く手に如何なる障害があろうとも、人間として果たさねばならぬ使命だった。
チャリティー・ショーの裏では数千万単位の金が着服されていた。障害者施設に寄付の名目で送られていた。浮かび上がって来たのは原子力研究所だった。
真相を究明しようと調べ始める彼等の前に次々と謎の人物が現れる。ある時は脅され、またある時は我々に味方せよ、と告げる。敵なのか味方なのか判然としない男が現れる。
「目が見えないっていうのは、どんな感じなんでしょうね」
唐突にいわれた。
「たとえ自分の鼻先に、誰かが刃の切っ先を突きつけていてもわからない。一歩踏みだし、傷を負い、はじめて気づくというわけだ。せつないですね。まるで人生そのものって感じがしますよ」
そうなのだ。敵が目の前に現れたところで拓郎は知る由もないのだ。
理解することばかりを強いられ、自分を理解してもらえないやるせなさを抱く妻の和子。刑事と偽って情報をせしめた韓国人の金。死んだ友人の妹、留美。障害のために年齢よりもはるかに若く感じる耕平。障害者施設〈あけぼの荘〉への援助を惜しまない町工場の主、山田。
これら主要な登場人物の全てが物語の中で変化する。目に映る世界は水面(みなも)にも似て、その底には紛れもない人それぞれの修羅があった。
何よりも拓郎自身がそうだった。事件を追うごとに、妻にもひた隠しにして来た出生の秘密へと迫らざるを得なくなってゆく。自分の存在を揺るがしかねないコンプレックスが白日の下(もと)に晒(さら)し出される。
大男と対決し、命からがら2階の窓から飛び降り窮地を脱した。その夜、妻から一人で動いたことを詰(なじ)られる。傷だらけになった拓郎を気遣う妻の言葉は厳しいものだった。
「──俺は大男に敗れたわけじゃない」
的外れな返答は、拓郎の叫びだった。誇りと愚かさがない交ぜとなったこの一言は、男であれば誰もが共感せざるを得ない響きを湛(たた)えている。
最終盤で拓郎は再び暗闇のリングに上がる。耳と皮膚の感覚だけを頼りに。怒りを込めた拳に確かな手応えを感じる度に彼は蘇生する。敗者復活戦だ。戦い終えた時、拓郎は再び栄光を手中にした。
傑作である──。