古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

『Cの福音』楡周平

 大藪春彦の衣鉢(いはつ)を継ぐ作家、と言っていいだろう。デビュー作にしてこれだけ読ませる作品に仕上げた力量はお見事。今後、どう化けるかに期待。


「C」とはコカインを指す。主人公・朝倉恭介が両親を飛行機事故で失い、多額の賠償金が入ってくる。大学進学が決まり、ミリタリー・スクールの卒業を間近に控えていたある日のことだった。大学へは行ったものの、満たされない心を抱えた恭介は格闘技を教える町道場に通う。道場の主は元米軍特殊部隊グリーンベレーの軍曹で、実戦さながらの稽古を教えていた。ある時、恭介を暴漢が襲った。煮えたぎる衝動に酔いしれ、恭介は暴漢二人を殺害してしまう。目撃者がいなかったため当然のように無罪となった。だが、内定していた就職先からは拒否される結果となってしまった。真っ当な人生を真っ当に送ることを彼は望んでいなかった。恭介はファルージオのもとを訪れる。ファルージオは暗黒街の顔役だった──。こうして恭介は、コカイン未開拓の地・日本の窓口となるために東京へ飛んだ。


 筋運びはこんなところで、特別目新しいトリックもない。輸出入の途中にブツを紛れ込ませる手口は「ほう!」と思ったが、それによって作品全体の見方が変わるほどではない。取引に電子メールを使うのが珍しいくらいなもので、郷原宏の解説は持ち上げ過ぎ。よくもまあ、これほど歯の浮くようなことを書けるもんだなあ、と別の意味で感心した。私は逆に、電子メールを使わない人にはわかりにくいのでは、との印象を受けた。


 単なる娯楽作品で終わっていないのは、主人公が国際的な犯罪組織に加担することすることを選択した根拠に説得力があるからだろう。


 プライベートな旅行での事故によるものだとして、父親の会社は規定通りの退職金と見舞金を支払い、1ヶ月以内にマンションを出るよう恭介に促した。


 航空会社との補償交渉が始まるや否や、多くの法律事務所から交渉の代理窓口を請け合うと言い寄られる。300万ドルの賠償金が確定すると、法律事務所は30パーセントの額を成功報酬として要求した。


 更に、その事実を知った遠縁の男が金の無心に訪れた──

 恭介は、世の中で「まとも」とか「正義」とか言われているものの正体がいかに得体の知れないものであるか、そしてこの世の中が実のところそうした人間たちによってのみ動かされているという現実を、早くも18歳にして垣間見ることになったのである。


 彼に悪への道を選択させたのは社会の現実だった。最も多感な時期に人生最大の悲哀を知った青年が涙を流すことさえ許さなかった世間に対して恭介は攻撃を開始する。彼に魅力を感じてしまうのは、誤った世の中で生き延びるための正当性が窺えるからであろう。スマートに仕事をこなす彼に邪悪の陰は見られない。


 誤った価値観の世界においてのみコカインは福音たり得るのだろう。