古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

近代を照らしてやまない巨星/『ナポレオン言行録』オクターブ・オブリ編

 ・近代を照らしてやまない巨星
 ・天才とは――

必読書リスト その一


 男の本能を掻き立てて止まないものが、ここにはある。


 18世紀から19世紀にかけて光芒を放った巨大な彗星、その名ナポレオン。

 彼の生涯の浮沈の曲線はかくして完全である。それは地平線の全体を包容している。彼は25歳にして有名であり、40歳にして一切を所有しており、50歳にしてはもはや名のほかに何一つ持たない。しかしこの名はその綴りの一つ一つが人々を感動させるものなのだ。そしてこの名の反響は人類とともにしか滅びないであろう。


 特大の花火を思わせる彼の生き様は、その残像を数百年にわたってとどめるであろう。


 この本はナポレオンの書簡・兵隊への布告・戦報・語録・歴史的研究・人物観などを年代順に抄録したものである。不世出の英雄の人間的な素顔が、生々しい迫力を持って迫ってくる。


 何年か前に『ナポレオン展』が開催された。恐ろしい数のダイヤモンドがちりばめられた王冠などの高価な品がたくさん陳列されていた。しかし、私が最も感銘を深めたのは彼の「言葉」に他ならない。そして、彼が戦闘また戦闘の果てに作り上げようとした『ナポレオン法典』だった。


 展示物の間に掲げられたパネルに記された言葉に私は衝撃を受けた――

 若くして死ぬなら死んでもいい。しかし栄光もなく、祖国に尽くすこともなく、生きた跡形を残すこともなく生きているのだったら、若くして死んではいけない。そんな生き方は酔生夢死も同然だからだ。


 私は眩暈(めまい)を覚えた。この言葉の前ではきらびやかな王冠もくすんで見えた。「栄光」の2文字をまとった男が佇立(ちょりつ)していた。

 世界を引っぱってゆく秘訣はただ一つしかない。それは強くあるということである。なぜなら力には誤謬もなく、錯覚もないからである。力は裸にされた真実である。


「なんじゃい、これは!」と私は致命傷を負ったジーパン刑事のように心で叫んだ。そして、トドメが『ナポレオン法典』。彼は普遍的な人間の規範を残そうとした。自由を基調にした永遠なるものを後世に印そうとした。それは剣と精神を併せ持った男の最後の仕事に相応しいものだった。


 如何なる環境からこうした人間が生まれるのか? ナポレオンをナポレオンたらしめたものは何だったのか? 疑問は雲のように立ちこめ、フラフラになって私は美術館を後にした。そして、直ちに買い求めたのがこの本である。一気に読み終えた時、私の中でナポレオンは更に巨大になっていた。

 一つのすぐれた力が私を私の知らない一つの目的へと駆り立てる。その目的が達せられない限り、私は不死身であり、堅忍不抜であろう。しかし私がその目的にとって必要でなくなるや否や、たった一匹の蝿でも私を倒すに充分であろう。


 彼は戦場にあって常に先頭に立った。全軍の指揮を鼓舞するためもあっただろうが、勝利への全責任を担う気持が、止むに止まれぬ行動となって、危険な位置に身を置かずにはいられなかったのではなかろうか。一兵卒となっての捨て身の姿に、全軍が奮い立ったに違いない。

 戦争においては、いたずらに多くの人間がいたからといって何にもならない。一人の人間こそすべてである。


 彼こそが正しくその一人だった。


 彼は戦闘の中で自己の限界に挑み、勝利する度に内面の新たな地平を開き、栄光の輝きに照らされる中で、更なる理想を追い求めた。


 偉大な理想に賭けた男の自負が、威風堂々たる言葉となって溢れ出てくる。


 自由と平等を追いかけた剛速球の人生が、凄まじい音を現代にまで轟かせる。近代の幕開けは、波瀾万丈を極めた一人の男が、大いなる波を起こして始まった。

 それにしても、私の生涯は、何という小説(ロマン)であろう!



シオニズムと民族主義/『なるほどそうだったのか!! パレスチナとイスラエル』高橋和夫