記録──胸を躍らせる言葉だ。そして、厳粛な響きをもつ言葉だ。
記録をつくることができるのは人間だけだ。この本に描かれているのは、ありふれた記録ではない。オリンピックで新記録をつくった人々の粉骨砕身のドラマである。
1965年に発行された本なので、取り上げられた8人はいずれも古い選手であるが、一時代を築いた彼等の情熱は色褪せることなく輝いている。
小学生高学年向けの作品と思われるが実に好い。ホラーだ、多重人格だ、猟期殺人だ、と人の神経を逆撫でする書物が横行する昨今、こういう本は一服の清涼剤と言える。道徳の教科書にあった二宮金次郎さながらの実直さが、私の背骨を真っ直ぐにさせる。
行き届いた文章の説教臭さがまた好ましい。思わず、選挙演説で合いの手をいれる中年オヤジのように「そうだ!」と何度か叫んでしまった。その意味でこの本は正しい本だ。正し過ぎて眩しいほどだ。この本を読んで感動できる人間は、真っ当な人生を歩んでいると言える。
『記録をうちたてた人々』に共通な幾つかの点を挙げると、まず、少年時代の出会いが彼等に夢を持たせ、人生の方向性に決定的な影響を与えている。
そして皆が皆、“練習の鬼”である。「他人とおなじことをやっていては、他人を追いぬくことはできないんだ(248p)」との信念から、自分をいじめ抜くほどの練習に打ち込む。その執念の闘争は、常識人の瞳には狂気と映るほどの凄まじさである。
更に、記録は恵まれた条件下で生まれるとは限らないということだ。オーエンスがたった1時間15分の間に三つの世界新記録と、一つの世界タイ記録を出した(1935年5月25日/アメリカ西部競技連盟主催・陸上競技選手権大会)。この日、彼は背中を痛め、最悪の体調だったというのである。ところが100ヤード競争の「ヨーイ」の号令がかかった瞬間、背中の痛みは嘘のように消え去った(210p)。そして、全ての競技を終えると、背中は再び激痛に襲われ 、一人で歩くことすらできなくなった。オーエンスは言う。「1時間15分。神のめぐみだったんでしょうか」。
人見絹枝がジンクスを破って記録を出すシーンも劇的だ。自分の神に彼女が祈りを捧げる姿も大変、示唆に富んでいる。それは自分以外の何物かに依存する姿勢ではない。苦しい行為を乗り越えてきた者のみが為し得る、精神の集中・統一であろう。敬虔な精神の光が、肉体の可能性を存分に引き出す。
これらの選手へのニック・ネームが小気味いい。ざっと紹介すると以下の通り。
とぶフィンランド人(ヌルミ)・黒いカモシカ/褐色の弾丸(オーエンス)・空飛ぶオランダ女王(クン夫人)・人間機関車(ザトペック)――。
実際には見たこともないのに、想像力を掻き立てられる響きがある。アナウンサーが連呼する様子や、街角で口の端に上る光景までが目に浮かぶようだ。
記録がつくられる瞬間の、あの緊張と興奮はどこから涌いてくるのだろうか。前人未踏の領域に達する人間を目の当たりにする刹那(せつな)、釘付けとなった無数の瞳は神とでも邂逅(かいこう)したかの如く、陶然とした光を放つ。割れんばかりの歓声は、奇蹟を成し遂げた人間を祭り上げる讃歌だ。人間の可能性を、あらゆる人間の可能性を拡げた先駆者に、称賛と感謝を惜しげもなく誰もが熱狂的に応える。舞台裏での死闘の果てのゴール。格闘また格闘の際限につかんだ栄光。人間が持つあらゆる行為・情念・思考が渾然一体となって、勝利の二文字に包まれて昇華する瞬間。坩堝(るつぼ)と化す会場。感動を伴う一体感。文化の力は言葉を超えて、人類普遍の共感を喚起せずにはおかない。
この事実に、平和を希求して止まない人類の心がある。戦争を始めるのは、文化に対して感動する心をなくした指導者達ではないだろうか。もしくは、文化を支配の道具としか思えないような、鉄の如く冷え切った精神の政治家連中であろう。
記録そのものが感動を誘うのではない。自分に勝った生き様が心を打つのだ。流した汗は嘘をつかない。誰人よりも流した汗に敬意を覚えるのだ。努力が実を結ぶとは限らない社会であるが故に、一層、惹かれるのだ。純粋さが保ちにくい時代であるからこそ、一段と魅せられるのだ。
戦う人生は美しい。戦い続ける人間は美しい。よりよき何かを目指し、戦う中に人生の本質がある。新たな記録への挑戦が自己を革新する。
不可能が可能となった瞬間、人間は生まれ変わる。新しい自分を創造する蘇生の行為が、万人の心を動かす。
自分らしく勇気を持って行動を起こせば、誰もが『記録をうちたてた人々』となれることを、彼等は教えてくれる。