目に見えぬ戦争の犠牲

 目に見えぬ戦争の犠牲:18日星条旗新聞:毎年退役した兵士中、6000名自殺。米国全自殺者3万名のの20%。精神障害治療費は年7億ドルから13億ドル。15日同新聞:現役兵士昨年301名自殺、本年これまで約60名。(@magosaki_ukeru

城南信用金庫

 3代目理事長・会長となった小原鐵五郎は、1918年(大正7年富山県で生じた米騒動を見て、貧富の差をなくして安定した社会を作りたいと考え、1919年(大正8年)7月に大崎信用組合に入職。全国信用金庫協会長や全国信用金庫連合会(現:信金中央金庫)会長を長年勤めるなど、信用金庫業界に貢献。

  • 「裾野金融」
  • 「貸すも親切、貸さぬも親切」
  • 「カードは麻薬」

 などの「小原哲学(名前の一字を取って、鉄学・鐵学とも言われる)」は、現在も城南信用金庫の経営理念として残る(内容については小原鐵五郎の項を参照)。


 小原没後も、自由化に対応して、独自のプライムレートの導入、不良債権ディスクロージャーの実施、懸賞金付定期預金、民間版定額貯金である「スーパートップ」、「ハイパートップ」、「超(ハイパー)優貯(ゆうちょ)」、「民間版住宅金融公庫ローン(超固定)」など、独自商品を開発する。


「貸すも親切、貸さぬも親切」という原則に徹し、バブル期において、株式やゴルフ場地の購入などの投機的な資金を貸さなかった事から、バブル崩壊後の金融危機でも健全経営を維持。


 また「カードは麻薬」という小原哲学に基づき、消費者向けのカードローンは、現状では一切扱っていない。クレジット・信販会社とのATM提携も一切行っていない。


 投資信託や保険、デリバティブなど、顧客にリスクのある商品(国債や地方債等の公共債を含む)も、一切扱っていない。サブプライム関連の投資も一切取り扱っていない(バブル期頃に20代向けへ普通預金とカードローンの一体型カードを(当時の名称は、城南シティカード)発行していた時期があったが、現在は既存契約を含め廃止している)。


 ATMなどの機械化は、振り込め詐欺などの事故やリスクの観点を考えて最小限にとどめている(ATMの項目を参照のこと)。


 格付機関であるフィッチ・レーティングスによる格付けは、格付開始以来2010年現在まで8年連続して☆☆☆(最高位)。


 日本経済新聞の実施する「日経金融機関ランキング」の「顧客満足度調査」において、「健全性・信頼感」の分野で、第一回、第二回、第三回の3年連続で、全国金融機関の中で第一位。


Wikipedia

『財界の正体』川北隆雄(講談社現代新書、2011年)



財界の正体 (講談社現代新書)

 経済エリートたちはどうやって日本を動かしてきたのか? 献金システムの変遷、政策への関与の方法、日本経団連はじめ財界団体内部の仕組み、今後のゆくえなど、揺れる実態をつぶさに解剖! 財界の素顔を知る最適の一冊。

『別冊宝島1752 誰も書けなかった日本のタブー』(宝島社、2011年)



誰も書けなかった日本のタブー (別冊宝島) (別冊宝島 1752 ノンフィクション)

 八百長化するマスコミ報道。真実が知りたい……多くの読者のご要望にお応えし、15万部のベストセラーとなった宝島SUGOI文庫『誰も書けなかった日本のタブー』が、ムックリシーズとして始動します。東京電力電気事業連合会のマスコミ支配の実態と御用メディア&文化人の大罪、追跡6年の爆弾スクープ! 天下の警視庁が「変死体ビジネス」(検案)で裏ガネ作り、六代目山口組弘道会壊滅作戦の知られざる内幕、両陛下と皇太子夫妻の断絶で天皇家「家庭崩壊」の危機、海老蔵事件の未解明=関東連合と芸能界&ベンチャー企業人脈の闇、大相撲スキャンダルの仕掛け人たち、前原・野田・蓮舫〜黒い政治資金の正体! JR革マル派に侵食される民主党、新パチンコ利権人脈、知的障害者をカモにする風俗&AV業界の残酷な現実……スクープ爆裂! ガチンコ“タブー系”ムックの金字塔が登場!

歴史とは死者と生者が連続しているという物語

 歴史とは死者と生者が連続しているという物語で、この物語を維持する仕組みを失ってしまえば、国家も歴史も崩壊する。戦没者の顕彰はナショナリズムを維持する上での不可欠の機能で、私の理解では、靖国神社戦没者を慰霊するというよりも顕彰する場所なんですね。


【『国家の自縛』佐藤優〈さとう・まさる〉(産経新聞出版、2005年/扶桑社文庫、2010年)】


国家の自縛 (扶桑社文庫)

実無限と可能無限

「ここで、寄せ集め解釈と切り口解釈の二つの解釈が出てきました。これは実は無限論の系譜を辿るときにたえず現われる対立しあう二つの立場なのです。寄せ集め解釈は、線分には無限個の点がすでに存在していると考えます。それに対して切り口解釈の方は、あくまでも可能性としての無限しか考えません。線分を切断すれば点が取り出せる。そしてそれはいつまでも続けていける。その可能性こそが無限であり、その可能性だけが無限だと言うのです。無限のものがそこにあるのだと考える立場から捉えられた無限は『実無限』と呼ばれ、可能性としてのみ考えられるとされる無限は『可能無限』と呼ばれます。実無限派にしてみれば、可能無限などは本物の無限ではありませんし、可能無限派にしてみれば、実無限など妄想の産物にすぎません。無限が完結した実体として存在するなど、可能無限派にしてみれば混乱し矛盾した概念でしかないのです」


【『無限論の教室』野矢茂樹講談社現代新書、1998年)】


無限論の教室 (講談社現代新書)