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瞑想に高い鎮痛効果、米研究

【発信地:ワシントンD.C./米国】瞑想(めいそう)で高い鎮痛効果が得られるとの研究結果が、5日、米医療科学誌Journal of Neuroscience4月6日号で発表された。


 研究を主導した米ノースカロライナ(North Carolina)州にあるウェイク・フォレスト大学バプティスト・メディカルセンター(Wake Forest University Baptist Medical Center)のフェイデル・ゼイダン(Fadel Zeidan)博士研究員によると、瞑想の鎮痛効果を示した研究は初めて。


 研究では、瞑想経験のない健康な15人のボランティアを募り、呼吸法のほか、感情や雑念の除去を習う20分の瞑想のトレーニングを4回受けてもらった。


 ボランティアの右脚に、狭い範囲を約50度で5分間熱する装置を付けて苦痛を与え、動脈ラベル標識(arterial spin labeling 、ASL)という方法を使う特殊なMRI(磁気共鳴画像装置)でトレーニング前後の脳の活動を調べた。


 その結果、瞑想後には15人全員の痛みの程度が、11%から93%軽減されたという。また、瞑想によって、痛みの場所や強さの知覚に関わる脳の「一次体性感覚皮質」という部分の活動が低下することが分かった。


 瞑想によって高い鎮痛効果が得られることについて、ゼイダン氏は「瞑想は、脳のひとつの部分だけでなく、痛みの感覚に関わるさまざまな部分に影響をおよぼすからではないか」と話した。


AFP 2011-04-06

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 そもそも議論・対話とはそうしたもののはずで、あらゆる「特定の立場」と無関係で、普遍的に無謬な「実証」「真実」などというのは、ごくかぎられた科学的実験の場などに限定されるべきものである。


 にも関わらずその実在がナイーブに信じられるというのは、一種の「信仰」の問題でしかない。それぞれの専門は異なる「信仰」をもつだろうが、それが前提におかれるかぎり、結局のところ、異なる手法で「真実」を語るもの同士が、いつまで経っても合意できない神学論争を繰り広げることとなる。


高原基彰