声質が大貫妙子と似ている。どことなくフランスっぽい雰囲気も。
「ただちに健康に影響を及ぼすものではない」
ただちに、ということを言うなら、取り落としたワイングラスにだって、いくばくかの余命はある。即座に粉々に砕けるわけではない。細かく観察すれば、手を離れたワイングラスには、運動方程式に沿った長い落下の過程がある。しかも、着地に至るまでのすべて過程を通じて、グラスの形状は完全に保たれている。大丈夫、撃たれたからといってただちに死ぬわけではない。弾丸が届くまでには、なおしばらくの猶予がある。そういうことを彼等は言っている。
『ネイティヴ・アメリカンの教え』エドワード・S・カーティス/井上篤夫訳(ランダムハウス講談社文庫、2007年)
E・S・カーティスの撮影したネイティヴ・アメリカンたちは、静かな威厳を漂わせ、高貴な品格を感じさせる。そして自然と共生してきた彼らの語る言葉は、素朴だが時に厳しく、叡知に溢れている。イメージと言葉が詩的に一体化し、精神的癒しに満ちた至玉の一冊。
ヘンリー・ダーガー
人生の後半の40年を、彼はシカゴの、6畳ほどしかない賃貸アパートの一室で過ごします。家族も友人もなく、たまに訪れるのは、教区の牧師だけ、という生活をダーガーは40年にわたっておくったのです。(中略)
(衰弱しきったダーガーを家主夫婦が救貧院に入所させる。家主の部屋を片づけようとしたところ、小説と挿絵が発見された。家主のネイサン・ラーナーは著名な写真家でダーナーの作品の価値が理解できた)
研究者は、ダーガーがその小説を執筆したのは1910年頃から1930年にかけて、挿絵を描いたのはそれが完成した後、1930年代から1960年代にかけてだと考えています。彼は10代から20年かけて小説を書き、それから死ぬまでの間、その小説の挿絵を描き、そのまま椅子に腰かけて眠り、朝になって、仕事に出かけたのです。
彼は、ほとんど本も読まず(本を買う金もなかったのです)、そして、絵や美術についてもなにも知りませんでした。ダーガーは、まったくの独力で、小説を書き、挿絵を描きました。ダーガーは、ごみ捨て場に行って雑誌や新聞を拾い、その中の写真や絵を斬り抜いて、模写することで、絵を学びました。だから、彼はその、雑誌の写真や絵になかったものを描くことはできませんでした。彼の描いた挿絵のたくさんの裸の少女には、男の子の性器がついていますが、それはおそらく、生涯、女性と付き合うことのなかった彼は、女性にも男性器があると信じていたからかもしれません。
それから、小説です。ダーガーが書いた小説は、南北戦争のパロディでした。主人公は、「ヴィヴィアン・ガールズ」と呼ばれる7人姉妹のプリンセスで、彼女たちは、子どもを奴隷として虐待する「グランデリニアン」と呼ばれる卑劣な大人たちから、子どもを救出するため、キリスト教軍と共に戦います。だから、『非現実の王国で』は、およそ1万5000頁もある戦争小説なのです。
- Wikipedia
- ヘンリー・ダーガーの謎
- 「現世否定」の倫理 「ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で」
- ペニスのある少女を描くヘンリー・ダーガーをめぐる2冊の書
- CARL HAMMER GALLERY
- Henry Darger(画像検索)