古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

『自由貿易の罠 覚醒する保護主義』中野剛志(青土社、2009年)



自由貿易の罠 覚醒する保護主義

 この罠に 嵌ったままなら 窮乏化。実際に、自由貿易パラダイムから保護貿易パラダイムへの大転回の予兆は、すでに現われはじめている……クルーグマンは言う。「保護主義について良いことを言ういかなる理論も間違っているなどと言わないでもらいたい。それは神学であって、経済学ではない」(本文より)

ピュタゴラスにとって音楽を奏でるのは数学的な行為だった

 ピュタゴラスにとって、音楽を奏でるのは数学的な行為だった。四角形や三角形と同じく、直線は数=形であり、弦を二つの部分に分けるのは、二つの数の比率をとるのと同じことだった。モノコードの調和は数学の調和――そして宇宙の調和――だった。比は音楽ばかりでなく、あらゆる種類の美を支配しているとピュタゴラスは結論づけた。ピュタゴラスによって、比は音楽の美しさ、肉体の美しさ、数学の美しさを支配していた。自然を理解するのは、比率の数学を理解することに尽きた。


【『異端の数ゼロ 数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念』チャールズ・サイフェ/林大訳(早川書房、2003年/ハヤカワ文庫、2009年)】


異端の数ゼロ――数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念 (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ)

人間とは無縁な存在

 シャウキーは外目には人間と映るかも知れぬが、実際のところはもはや人間とは無縁のものなのだ。理知的だとか、精神異常だとか、病んでいるとか、奇人であるといったような、我々が知っている範疇(はんちゅう)の人間とは無縁なのだ。
 彼は新たな存在となって出てきて、かつそういう自身を体現しようとしているということができるだろう。彼はこれまで存在した人間にとっては、まったく新しい動機でもって生きるべくして出所してきた。彼は群れを成そうとも、存続しようとも、また進歩しようともしない。彼の生に対する動機は逃げること、逃げ失(う)せることだった。あたかも彼は人類すべてをジン(イスラム神話の、精霊、幽鬼、妖精)かあるいは悪魔としか見ておらず、それらの関心のすべては彼に襲いかかり、傷つけ、破滅させることでしかないと思っているかのようであった。
 人間どもは皆悪魔で、彼一人が人間であるか、さもなくば彼らは皆人間で彼一人だけが悪魔で、人間どもは皆で彼に敵対し、待ち伏せ、彼を滅ぼすまで止めようとしないのだ……


【「黒い警官」ユースフ・イドリース/奴田原睦明〈ぬたはら・のぶあき〉訳(『集英社ギャラリー〔世界の文学〕20 中国・アジア・アフリカ』1991年、所収)】


中国・アジア・アフリカ/集英社ギャラリー「世界の文学」〈20〉

福澤諭吉が生まれた日


 今日は福澤諭吉が生まれた日(1835年)。居合の達人であった。ただし、福澤は急速な欧米思想流入を嫌う者から幾度となく暗殺されそうになっているが斬り合うことなく逃げている。同じく剣の達人と言われながら生涯人を斬ったことが無かった勝海舟山岡鉄舟の思想との共通性が窺える。


福翁百話 学問のすゝめ (岩波文庫) 文明論之概略 人間 福澤諭吉

カエサルがルビコン川を渡った日


  今日はカエサルルビコン川を渡ってイタリアに侵入した日(紀元前49年)。この時「賽(さい)は投げられた」と檄を発したことは余りにも有名。「ルビコン川を渡る」は以後の運命を決め後戻りのできないような重大な決断と行動をすることの例えとして使われている。


ガリア戦記 (岩波文庫) ローマ人の物語〈8〉ユリウス・カエサル ルビコン以前(上) (新潮文庫) カエサル (講談社学術文庫)