フランク・ウィルチェック、マルコム・グラッドウェル
2冊読了。
1冊目『物質のすべては光 現代物理学が明かす、力と質量の起源』フランク・ウィルチェック/吉田三知世〈よしだ・みちよ〉訳(早川書房、2009年)/著者は2004年にノーベル物理学賞を受賞した理論物理学者。大統一理論に向けて踏み込んだ考察をしている。力と質量の起源はどこにあるか? マクロ宇宙を解く鍵は量子世界よりもミクロな世界に存在する。グリッドという概念でエーテル(!)に魂を吹き込んでいるのが圧巻。レオナルド・サスキンド著『ブラックホール戦争 スティーヴン・ホーキングとの20年越しの闘い』を先に読んでおくべきだ。
2冊目『第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい』マルコム・グラッドウェル/沢田博、阿部尚美訳(光文社、2006年)/テンポが悪いのだが後半いきなり盛り上がる。第六感ではなく1としたところがミソ。その大半は視覚情報を無意識領域で判断している。いわば直観。第1感で得られる情報量は予想以上に多い。更にその危うさにも触れている。また直観を言葉に置き換えると情報が変質するらしい。表情を読み解くことができない自閉症についても考察が加えられている。第1感は訓練可能であるとのこと。
テレビスタジオの圧倒的な同調圧力
それは出演する人々が、事前に自主性を出さないように依頼されたり強制されたりしているということではない。そんなミエミエの圧力は、いくらこの愚かしい国内でも、すぐ告発されるだろう。出演者の発言は自由である。言いたいことを言っていい。だが、生放送開始の秒読みキューにより、司会者が画面に登場したとたん、魔法のような主体性・自主性圧殺の力が働く。
そのほとんどは、司会者の言葉、表情、動作反応と、カメラスイッチャーの切り替えの指先と、中断するCMのタイミングと内容、参加視聴者の反応、女性アシスタントの動き、出演者同士の表情反応、言語反応の組み合わせ、といったような、ありとあらえる(ママ)細部の「質量」が作り上げるものなのだ。しかもそうした全体の結果は、最初からのでっち上げや、グル行為や、意図的な規制や、ヨイショ行為や、馴れ合い・ヤラセ行為よりも、一層悪質な結果を生むのだ。
【『おテレビ様と日本人』林秀彦(成甲書房、2009年)】
出演者は否応なくシステムの一部となって、プロパガンダの片棒を担がせられる。
病院の無力さ
私たち、現場のシロウト集団の開き直りが始まった。病院では私たちシロウトには治せない病気を治し、命を救うことはできる。だが命を救っただけではそれは“生きもの”にすぎないのではないか。その“生きもの”が“人間”になること、つまり、目が輝いてきて自らの体の主体になることについては、病院という場はじつは無力ではないのか。いや、むしろそれを妨げているのではないか。私たちは命を救うことはできない。だが、ただ生きているだけの人や、生きていくのをやめようと思っているような人に、もう一度笑顔を取り戻させることならできるかもしれない。
【『老人介護 じいさん・ばあさんの愛しかた』三好春樹(法研、1998年、『じいさん・ばあさんの愛しかた “介護の職人”があかす老いを輝かせる生活術』改題/新潮文庫、2007年)】
医師が見ているのは症状と患部である。そして人間を見失うわけだ。