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裁判:消えた権利〜知的障害者と裁判 女性の訴え「門前払い」 一般人も即答無理

 知的障害をもつ女性(30)が強制わいせつの被害を訴えた刑事裁判で、1審の宮崎地裁延岡支部は昨年9月、女性の「告訴能力」を否定し、検察官の起訴を無効とする判決を言い渡した。「女性には裁判所に訴える能力がない」。公訴棄却判決は、いわば「門前払い」の内容だが、女性の周辺にはその判断への疑問の声が相次いでいる。12月21日に予定される控訴審判決を前に事件の周辺を歩き、司法における知的障害者の人権を考えた。


「携帯で胸を撮られた。みんなに見せるって」。昨年2月24日夕、宮崎県北部の山あいにある福祉作業所。家族や職員ら15人がかたずを飲んで“告白”に聞き入っていた。


 きっかけは数日前、女性が友人に相談したことだった。本当だと思った職員は警察官にも同席を頼んだ。


「自分で男について行ったの」という問いに「1回か2回断った。でも早よこれ(車)に乗らんねって怒られた」。「何をされたの」「いやらしいことをされた。怖くて声が出んかった。体も動かんかった」。言葉を聞いた職員は「余りにありのままで、聞くに堪えなかった」と振り返る。作業所には、両親のおえつと職員のもらい泣きの声が響いた。


 話し合いは約3時間に及んだ。最後は全員で「この子たちを守ってくれるのは警察しかない」と、警察官に頭を下げた。外は真っ暗になっていた。


 まもなく逮捕・起訴された男(61)は捜査段階で容疑を認めたが、公判では「合意の上だった」と否認に転じた。女性は昨年6月、裁判所に出廷した。


 尋問は、傍聴席や被告の間についたてを立てただけで行われた。関係者によると「相手(被告)を許しますか」と尋ねた検察官に女性は「許しません」とはっきり答えた。だが、聞き手が裁判官に替わり、供述調書と告訴状の意味の違いなどについて聞かれると、黙り込んでしまったという。


 そしてその3カ月後に出た判決は、被害者の「告訴能力のなさ」を書き連ねていた。「問いが難しくなると、応答が迎合的になる」「告訴状と供述調書の違い、記載内容などを自発的に説明できない」。起訴自体が無効という判断は、女性の周囲に衝撃を与えた。


 知的障害者が巻き込まれた事件の情報を集めている「全日本手をつなぐ育成会」(東京)によると、知的障害を理由に告訴能力を問題視されて起訴が無効とされた事件は聞いたことがないという。


 大久保常明常務理事は「知的障害者は被害をうまく説明できなくて泣き寝入りしてしまうことが多い。だが、この判決は告訴能力を否定しており、それ以前の問題だ」と驚く。「一般人でも告訴状と供述調書の違いをきちんと説明できる方がどれだけいるでしょうか。こんな理由で知的障害者を司法から排除するのなら、司法の役割とはいったい何なのでしょうか」


 なぜ、こうした判断に至ったのか──。記者は二度にわたって裁判長に取材を申し込んだが、宮崎地裁から「判決文にあることがすべてで、コメントできない」という電話回答があっただけだった。


 強制わいせつの被害を訴えた宮崎県の女性(30)は09年6月、同県延岡市内で精神科医(77)の鑑定を受けた。県北部の鑑定を一手に引き受けるようになって約四半世紀。医師は、抽象的な質問や難しい言葉は苦手という知的障害者の特性を考え、父親を同席させてゆっくり分かりやすく話すよう気を遣った。


「学校ではどんな子だったのかな」と尋ねると「いじめられっ子」という答えが返ってきた。好きな科目は「国語」。嫌いな科目は「算数」。好きな漫画は「りぼん」……。


 女性はおとなしく、被害状況を聞けないくらい恥ずかしがっていた。しかし、「事件についてどう思っていますか。どんな感想を持っているのかな」と聞くと「二度とこんなことがないように」と、うつむき加減に、だがはっきりとした言葉が返ってきたという。


 医師は、約2時間の知能テストと面談の末、軽度の知的障害と判定した。「中学生以上の社会的能力を持ち、物事の善悪は判断できる」。そう話す医師は、1審判決について「意志をうまく伝えられない知的障害者はとても弱い存在。でも裁判所は彼女の思いをくみ取ろうとせず、事件をなかったことにして彼女は被害者にもなれなかった」と語る。




 事件当時、女性は自宅近くの福祉作業所に通っていた。「障害があっても地域で暮らしたい」。そう願う障害者の家族や兄弟たちが協力して作った小さな作業所だ。


 両親は女性を都市部で就職させることも考えた。だが「家族と一緒に暮らしたい」という女性の希望もあって、作業所に通わせることにした。育てた野菜を売って月に約5000円を得るだけだが、職員は泥だらけになって楽しそうに畑仕事をする女性の姿をよく覚えている。


 事件後、再び被害に遭うことを恐れた両親は、女性を遠くの入所型グループホームに移した。「兄弟はみな就職して家を出て、最後まで残ったのがあの子だった。いなくなってしまって私たち夫婦の生活がどんなに寂しくなったことか」。父親は声を落とした。




 女性は読み書きもでき、施設の仲間や好きなタレントの生年月日や干支(えと)をすべて覚えていた。事件から約1週間後、舗装された道路もない山奥の現場まで、職員や警察官を正しく案内したという。


 11月中旬、記者は女性を訪ねた。「忘れさせてやりたいから、事件のことは聞かないで」。そう念押しされ、グループホームの片隅で女性を見守った。


 ホームにいる間、女性は入所者と終始おしゃべりをしていて、初対面の記者とはなかなか目を合わせようとしなかった。だが、しばらくすると記者に名前や好きなタレントを聞き、自分の氏名住所と好きなアイドルを書いた紙を渡してくれた。


「また来てね」。帰り際、ささやいて笑った女性は、童顔で年齢よりも幼くみえた。だが、好き嫌いもしっかりあり、友人と雑談もできる彼女と自分は何がそんなに違うのか。「誰も彼女の証言能力を疑ったことはありません」。作業所職員の言葉は、決して誇張ではないと実感した。【川上珠実】


毎日新聞 九州版 2010-12-02


 中学生以下の判断力であれば、レイプされても仕方がないというメッセージを社会に放ったも同然だ。裁判所が法的正義を実行できないのであれば、それに代わる正義の味方が必要となる。法的な不作為は確実に暴力の温床となることだろう。

他人の踏み固めた道になれきって、その思索のあとを追う

 精神が代用品になれて事柄そのものの忘却に陥るのを防ぎ、すでに他人の踏み固めた道になれきって、その思索のあとを追うあまり、自らの思索の道からとおざかるのを防ぐためには、多読を慎むべきである。かりにも読書のために、現実の世界に対する注視を避けるようなことがあってはならない。というのは真に物事をながめるならば読書の場合とは比較にならぬほど、思索する多くの機会に恵まれ、自分で考えようという気分になるからである。すなわち具体的な事物は本来のいきいきとした力で迫ってくるため、思索する精神にとって恰好の対象となり、精神に深い感動をもっとも容易に与えることができるのである。


【『読書について』ショウペンハウエル/斎藤忍随〈さいとう・にんずい〉訳(岩波文庫、1960年)】


 増刷されたようだ。朗報である。


読書について 他二篇 (岩波文庫)

人間を民族や部族、宗派の違いだけで憎むことの愚かさ

 今シーズン、バグダットの〈ザウラ〉で19ゴールを決めて、“フィールドのスナイパー”の異名をとった22歳のFWアフマド・ムナージドが、仲間を代弁するように言った。五輪代表も兼務する彼は、スンニ派である。
「スンニもシーアも、我々にとっては大きな問題じゃないよ。周囲はいろいろ言うし、教義については深い違いがあることも知っている。でも僕は、そのことで対立したり仲たがいをするのなら、そんな違いすら知らずに生きてゆきたいんだ」
 湾岸戦争が勃発(ぼっぱつ)したのが8歳のときというムナージドは、物心ついたときから、戦火の中でのフットボールを強(し)いられてきた。人間を民族や部族、宗派の違いだけで憎むことの愚(おろ)かさを、体験で実感している。


【『蹴る群れ』木村元彦〈きむら・ゆきひこ〉(講談社、2007年)】


蹴る群れ

マリア・カラスが生まれた日


 今日はマリア・カラスが生まれた日(1923年)。20世紀最高のソプラノ歌手と言われた。特にルチアノルマヴィオレッタ(椿姫)、トスカなどの歌唱は、技術もさることながら役の内面に深く踏み込んだ表現で際立っており、多くの聴衆を魅了するとともにその後の歌手にも強い影響を及ぼした。



マリア・カラスの真実 [DVD]  マリア・カラス 聖なる怪物


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