古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

櫻井義秀


 1冊読了。


 134冊目『霊と金 スピリチュアル・ビジネスの構造』櫻井義秀〈さくらい・よしひで〉(新潮選書、2009年)/わかりやすい宗教社会学入門。スピリチュアル系を含む宗教団体の荒稼ぎぶりを考察している。ここが大事。決して暴き立てて警鐘を乱打しているわけではない。「考えるのはあんたの仕事」ということ。具体例としてはヒーリング・サロンを展開した神世界、それと霊感商法の代名詞・統一教会。よくも悪くも新書的で、さほど宗教と縁のない人でもスラスラ読めると思う。統一教会の件(くだり)は結構勉強になった。終盤は著者の思いと相俟って文章がスピーディーになっている。私としては多少の異論もあるが、よくまとまっていると思う。欲をいえば、経済性と喜捨の相違にもっと踏み込んでもらいたかった。なぜなら、何らかの信仰に基づいて自己満足を得られたとすれば、それはそれで経済的な合理性があるからだ。資本主義社会の本質はねずみ講であるというのが私の持論なのだ。この手の本は被害に遭う前に読んでおくべし。

「私たちは大量虐殺を未然に防ぐ努力を怠ってきた」/『NHK未来への提言 ロメオ・ダレール 戦禍なき時代を築く』ロメオ・ダレール、伊勢崎賢治

 アクションもののヒーローはおしなべて無法者の匂いがする。「俺が法だ」と言わんばかりに社会の矛盾や組織の理不尽を踏みつけてくれる。我々に代わって。人気の高い作品というのは、人々の不満を上手にすくい取ってカタルシスを与えているのだろう。


 映画『ホテル・ルワンダ』を観た人であれば、ロメオ・ダレールを知っているはずだ。ニック・ノルティが演じたオリバー大佐はロメオ・ダレールがモデルになっている。国連という枠組みに縛られて、大虐殺を傍観せざるを得なかった司令官だ。


 映画から受けた衝撃は十分すぎるものであったが、私にとってルワンダは遠い国だった。世界中がルワンダを放置しているのだろう、と思いながら私も放置していた。アフリカというだけで、どうせ大した情報もあるまいと決めつけていた。


 映画を観てからちょうど2年後に、レヴェリアン・ルラングァ著『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』を偶然見つけた。これが私の運命を大きく変えることになった。その意味でルワンダは我が精神の祖国といってよい。

 ルワンダについて、ダレール氏は次のように語る。
ルワンダはわたしを変えました。生涯心から消えることのない体験だったからです。大量虐殺は核兵器の使用と同じく、人類が越えてはならない一線です。それなのにわたしたちは、大量虐殺を未然に防ぐ努力を怠ってきたのです」


【『NHK未来への提言 ロメオ・ダレール 戦禍なき時代を築く』ロメオ・ダレール、伊勢崎賢治NHK出版、2007年)以下同】


 経験が人を変えるとよくいう。そんなのは嘘っぱちだ。経験は誰でもしている。そして経験の劇的さを競うことには意味がない。問われるのは経験ではなく感受性なのだ。世界と人間から感じ取るものが大きければ大きいほど、人は深い生を味わうことができる。


 それにしてもロメオ・ダレールに伊勢崎賢治をぶつけるというのが絶妙なキャスティングだ。この二人は共に地獄を見てきた男であり、平和のプラグマティストである。理想だけでもなく、口先だけでもなく、政治的な現実を知り尽くした上で可能な範囲ギリギリまで平和を推進してきた。

ダレール●アフリカに対する先進国の関心はゼロに等しい状況です。わたしたちは彼らに対して植民地時代よりもひどい仕打ちをしています。わたしたちは勝手に格付けを行って、黒人の住むアフリカ大陸を最低だと決めつけてしまったのです。自分たちに利益がない場所には、決して関与しないと。
 ルワンダで虐殺が始まった当初、部隊を派遣するかどうを判断するため、各国の視察団がやってきました。ある国の代表はそっけなくこう言いました。
「司令官、わたしたちはルワンダに来るつもりはありません。兵力の増強を政府に進言するつもりもありません」
 わたしは言いました。
「なぜですか。ルワンダの惨状をよく見てください」
 しかし、彼は次のように答えました。
「状況はわかります。でも、ルワンダには何の戦略的価値も資源もない。ただ人がいるだけです。すでに多すぎるくらいの人間がね」
(中略)
 そして、さらに彼はこう言い放ったのです。
「白人兵士をひとり送るためには、ルワンダ人8万5000人の死が必要だ」と。
 それがアフリカの人びとの命の価値だったのです。
 結局、ルワンダには誰ひとりとして来ませんでした。


 価値観は恐ろしい。差別を合理化できるのだから。そして自分の価値体系から外れるものは切り捨てることができる。「国益に利することがないのであれば、我が国は関心を持てません」ってわけだよ。日本も無関心だった。そして、あなたや私も。

 1994年8月、ダレール氏はルワンダから帰国。これ以上、任務を遂行する気力も体力もない、と司令官を辞任した。しかし、脳裏からルワンダの惨状が消えることはなかった。ダレール氏は、PTSD心的外傷後ストレス障害)と診断された。2000年6月、ダレール氏は自殺を図り、公園のベンチの下で発見された。国連平和維持部隊の司令官まで務めたダレール氏の自殺未遂に、カナダの人びとは衝撃を受ける。


 ここにロメオ・ダレールの真実があった。深き感受性はどこまでも自分を苛(さいな)んだ。「国連を非難しているが、じゃあお前はどうなんだ? お前は何かしたのか?」という声が胸の中で去来したことと想像する。


 ロメオ・ダレールと伊勢崎賢治は暴力の構図から妥協の知恵を模索する。ダレールの「保護する責任」という主張は2005年の国連サミットで採択される。こうして「国家主権」「内政不干渉」に一撃を食らわせた。しかし条文やルールで平和を構築した歴史は人類に存在しない。悪用されるケースも十分考えられる。


 目の前にある不幸と関わる。世界の不幸に思いを馳せながら。それしかできない。いや、それだけならできる。世界を根本的に変えるのは、不幸を感受する力を促す教育である。他人の不幸に鈍感な人々が世界を滅ぼすのだ。


大虐殺を見守るしかなかったPKO司令官/『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか PKO司令官の手記』ロメオ・ダレール


アフガン兵士の詩

「カリル! 間違えてもヒズビとの戦闘なんかで死んだりするな。元気で帰ってきて、マスードの前で、私の前で、君の詩をまた吟じてくれ」。私は彼の後ろ姿を見ながらつぶやいた。彼は一編の詩を残して去っていった。


 敵の弓の矢で人が命を
 失わない日はありません
 そして人々が、自分の手足を
 失わない日もありません
 敵の残酷な火が村を焼き尽くさない
 日もありません
 親を亡くした子どもたちの泣き声が
 聞こえない日もありません
 心が二つに割れず、自分の家族から犠牲者をださなかった
 日をすごしたこともありません
 国の砂漠のあちこちは、シャヒードのお墓の上につけられた
 ロウソクの灯でいっぱいです
 春がいまほど、犠牲者の血で赤く
 美しくなっていることはありません
 歴史の本は戦いについてたくさん書いてはいるけれど
 書かれていないこともたくさんあります
 この貧しい人々のためには
 神が力を貸して勝利をものにするしかありません
 おーい、戦士たちよ、バラバラになっている戦士たちよ
 努力してまとまって下さい
 結果は貴方たちのものなのだから


 手帳いっぱいに詩を書きつけていたカリル。軽い安らかな寝息をたてて寝たカリル。インド、アフガン、中国を経て日本に伝わった仏陀のやさしい顔立ちを思わせたカリル。
 カリル、貴方からとうとう明るく楽しい詩は聞けなかったけれど、いつか、そんな詩が貴方の手帳を満たす時がくるに違いない。いやきてほしいと私は願う。


【『マスードの戦い』長倉洋海〈ながくら・ひろみ〉(河出文庫、1992年/『峡谷の獅子 司令官マスードとアフガンの戦士たち』朝日新聞社1984年に一部加筆)】


マーク・トウェインが生まれた日


 今日はマーク・トウェインが生まれた日(1835年)。「真実が靴を履こうとしている間に、嘘は既に世界の半分に広まっている」「全てが間違っているということはありえない。どんな壊れた時計でも一日に2回は正しい時刻を示す」「今から20年後、あなたはやったことよりも、やらなかったことに失望する」「先に進むための秘訣は、先に始めること。先に始めるための秘訣は、複雑で圧倒する仕事を、扱いやすい小さな仕事に分解して、最初のひとつを始めることだ」「アダムがリンゴを欲しがったのは、そのリンゴが食べたかったからではない。ただそれが禁じられていたから、というだけのことだ」「人間が善悪の別を知っているという事実は、人間が他の動物より知的に優れていることの証拠だ。しかし人間が悪事を働くことができるという事実は、それができない他の動物よりも道徳的に劣っていることの証拠だ」「名声は霧、人気は偶然の出来事。この世でただ一つ確実なもの、それは忘却」。


トム・ソーヤーの冒険 (新潮文庫) ハックルベリー・フィンの冒険〈上〉 (岩波文庫) ハックルベリー・フィンの冒険 下 (岩波文庫 赤 311-6) トウェイン完訳コレクション  アーサー王宮廷のヤンキー (角川文庫)


不思議な少年 (岩波文庫) 王子と乞食 (岩波文庫 赤 311-2) 人間とは何か (岩波文庫) マーク・トウェイン文学/文化事典

スウィフトが生まれた日


 今日はスウィフトが生まれた日(1667年)。イングランドアイルランド人の司祭、諷刺作家、随筆家、政治パンフレット作者。『ガリヴァー旅行記』は1726年に発行された。しばしば子供向けの本と誤認されてきたが、これは大いなる時事諷刺である。アンチテーゼを示し、読者に反駁を求めた。


ガリヴァ旅行記 (新潮文庫) ガリヴァー旅行記 (岩波文庫)