実例:交通警察官とのたたかい方

 警官が免許証の提示を求めるので、kohsakは提示だけする。警官は、当然のようにこちらの手から免許証をもぎ取ろうとするが、さっと警官の手をかわして渡さない。提示する義務はあるが、手渡す義務はないからだ。


弁護士kohsakのユーウツ

労働する人間は経済活動の手段にされている

 カント以来、ヨーロッパの思索は、人間本来の尊厳についてはっきりした見解を示すことができました。カントその人が定言命法の第二式でつぎのように述べていたからです。
「あらゆる事物は価値を持っているが、人間は尊厳を有している。人間は、決して、目的のための手段にされてはならない。」
 けれども、もうここ数十年の経済秩序のなかで、労働する人間はたいてい、たんなる手段にされてしまいました。自分の尊厳を奪われて、経済活動のたんなる手段にされてしまいました。もはや、労働が目的のための手段に、生きていく手段に、生きる糧になっているということですらありませんでした。むしろ、人間とその生、その生きる力、その労働力が経済活動という目的のための手段になっていたのです。
 それから第二次世界大戦が始まりました。いまや、人間とその生命が、死のために役立てられるまでになったのです。そして、強制収容所が建設されました。収容所では、死刑の判決を下された人間の生命さえも、最後のひとときにいたるまで徹底的に利用されたのです。それにしても、生命の価値はなんと低く見られたことでしょうか。人間はどれほどその尊厳を奪われ、おとしめられたことでしょうか。


【『それでも人生にイエスと言う』V・E・フランクル/山田邦男、松田美佳訳(春秋社、1993年)】


それでも人生にイエスと言う

「私のことは神が救ってくださるはずだから」

「あるところに男の人がいました」
「男の人?」
「いいから聞いて。その人が自宅にいると、川が氾濫(はんらん)して、ものすごい洪水が起きました。水が1階の床上まで達したところで、ボートが救助に来ました。でも男の人はこう言いました。“ほかの人を助けてやってくれ、私のことは神が救ってくださるはずだから”。そして2階に駆け上がりました。でも水は2階まで上がってきました。またボートが救助に来ましたが、男の人は言いました。“ほかの人を助けてやってくれ。私のことは神が救ってくださるはずだから”。水位は上がる一方で、男の人はついに屋根の上に避難しました。するとヘリコプターが救助にやってきました。でも男の人はこう言いました。“ほかの人を助けてやってくれ。私のことは神が救ってくださるはずだから”。ヘリコプターは去っていきました」
 鎮痛剤のせいで呂律の怪しいリンダがさえぎった。
「いったい何の話なの?」
 サマンサは無視して先を続けた。「やがて男の人は川の水にさらわれ、溺れて死にました。次に気づくとそこは天国で、神がいました。男の人は神に尋ねました。“神よ、なぜ救ってくださらなかったのです?”すると神は首を振って言いました。“おかしいな、どうしてきみがここにいるのかわからない。ボートを2隻とヘリコプターを送ったのに”」
 ダンスは思わず笑った。リンダは落ち着いて瞬きをした。きっと笑いたいのだが、必死でこらえているのだろうとダンスは思った。


【『スリーピング・ドール』ジェフリー・ディーヴァー池田真紀子訳(文藝春秋、2008年/文春文庫、2011年)】


スリーピング・ドール〈上〉 (文春文庫) スリーピング・ドール〈下〉 (文春文庫)

マルティン・ルターが生まれた日


 今日はマルティン・ルターが生まれた日(1483)。便秘に悩んでいた。彼が偉大な啓示を受けたのは、便所で腰を下ろしていた時のことだったと考える学者もいる。ある文章では「ルターが恐怖による束縛から解放されたのは、ルターの腸が苦痛から解放されたのと時を同じくしていた」と述べられている。(チャールズ・サイフェ著『異端の数ゼロ 数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念』より)


異端の数ゼロ――数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念 (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ)