有名なダイバーだったユーリ・リプスキー氏の最期を捕えた映像。エジプトのブルーホールというダイブスポットで、ユーリ氏は突然海底へと沈み始めます。彼が持っていたビデオカメラが、すべてを記録していました。しかし、奈落の底へ落ちた理由は、未だに謎のままです。このビデオでは、ユーリの知人達が彼の死の理由について思いを巡らせています。
高橋重敏が中心になって作成した文集のようなもの。出来は悪い。物凄く。かような本を出版することができたのもビジネスパーソンとしての高橋の力量か。驚いたことに、中村元〈なかむら・はじめ〉が「刊行に寄せて」という一文を書いている。
それでも私は読む。読まざるを得ないのだ。クリシュナムルティの足跡を辿るために。彼が人々に与えた影響を知るために。
殆どが日本人による作文なのだが、インド人でクリシュナムルティと直に接した方の貴重な証言もある――
私はクリシュナジに私的に会い、雑談を楽しんだあと、私の心境を彼に打ち明けました。私が話している間(1時間は越していたと思います)彼は無言で耳を傾けていました。非常に深く非常な充実感で聞いて頂けたので、私自身も以前には味わったこともないほど澄み切った自分を見ていました。一点の汚れもない多次元の鏡の中の私自身を眺めているようでした。私の話を何の反響もなく、評価もせず、ゆがみもなく、解釈もせずに聞いてくれたのです。話が終わるとクリシュナジは大へん簡単にこう言いました。「あなたは父親によって深く傷ついています。その他のさまざまな感じはすべてそこから生まれています。」私の心の奥底を切り裂き、それにはっきりと深い愛情でふれてくれたのです。
その翌年の大部分、私はひきつづき私自身の内部を眺めつづけました。あたかも心の中に植えられた種子が何度も何度も殻をむかれているようでした。内省する度に種から花が開いてくるようでした。
1年たって彼がマドラスをまた訪れたとき、私は再度彼に会いました。そして私の味わってきたことを細かく彼に打ち明けました。私は父親と袂を分かってからずっと会っていませんでした。父と母もまた別れてしまっていました。父は私たちを更に傷つけ生活を困らせようと積極的に動いていました。クリシュナジはもう一度私の苦情を聞いてくれ、こう言いました。「あなたの傷は終わったが、それを怒りに変えたままにしている。それが心を鈍くするでしょう。出かけていって父に会い、その怒りに終止符をうちなさい。」(「クリシュナジの思い出」ラグ・アナンサナラヤナン〈インド、経営コンサルタント〉)
父親から相当酷い目に遭わされたことが窺える。嘆き節になっていないのは、既に彼が苦悩から離れているためだろう。ここが重要だ。打破ではなく「執着から離れる」ということ。
怒りはまだ浅い次元の執着といえる。問題は「悲しみ」だ。悲嘆は心に長期的ダメージを与える。怒りよりも悲しみの方が深い痕跡を記憶にとどめる。それは樹木についた傷のように時と共に大きくなってゆく。
悲しみは遅れてやってくる。苦しみの後で。考えるほどに不条理が深まる。運命の残酷さ、宿命の厳しさが不意に訪れる。一寸先は闇だ。あの角を曲がったところに不条理が転がっているかもしれない。
仏典には「常懐悲感(じょうえひかん) 心遂醒悟(しんずいしょうご)」と説かれている。毒を服して道理のわからなくなった子供達の目を醒まさせたのは、「父の死」という方便であった。
とすると、悲哀を乗り越えるためには、悲哀の底に沈潜するしかない。時の経過で誤魔化すのではなくして悲しみと共に生きる。否、悲しみを生きるのだ。悲しみの底に新しい生の扉がある。悲哀に終止符が打たれるのはそこだ。
ならば、政治記者は一体、何をしているのだろう。政治部記者の中には「派閥記者」と呼ばれ、事実上、政治のプレイヤーになってしまっている者がいる。最近は少なくなったが、かつては並の政治家よりも実力のある記者が存在し、彼らは、自らの所属するメディアを利用して政局をつくるようなことを平気で行っていた。
政治家同士を繋ぐために極秘の会合をアレンジしたり、一部の政治家の側について政敵を追い落とすためにネガティブ情報を流したり、そういったフィクサーまがいの行いを繰り返す記者が後を絶たなかった。一方で、彼らの応援する政治家のネガティブ情報が出ることはまずない。あたかも、そした政治記者たちは、担当した政治家を出世させ、永田町の権力闘争に勝たせるために存在しているかのようだ。なぜなら、彼らの出世もまた、担当した政治家の動向に大きく影響されることが多いからだ。
たとえば、自民党のある政治家が派閥の中で力をつけて、総理総裁のポストを窺(うかが)う位置に就いたとしよう。仮に、その後、見事に首相の座を射止めたら、その担当記者も同時に政治部内で出世する。逆に、その政治家が失脚してしまえば、記者も会社での地位を失うことになる。
つまり、オブザーバーではなく、政治に寄り添うプレイヤーになっていくのである。
電話一本で、時の首相や官房長官までを動かし、NHK人事に介入することが可能だった島桂次記者(のちに会長)や、田中派全盛期に同派を担当した海老沢勝二(えびさわ・かつじ)記者(同じくのちに会長)などがまさしくその典型である。そうした状況は現在でもあまり変わっていない。
安倍政権崩壊時に、そのブログで自身の失意を綴(つづ)った阿比留瑠比(あびる・るい)記者や、内閣退陣で涙を流した元共同通信の青山繁晴氏などは、政治権力との距離感を忘れた派閥記者といえる。
今日はサッコとバンゼッティの日。サッコ・バンゼッティ事件の容疑者とされた二人の死刑が執行された日(1927年)。有罪判決に対する抗議行動をアナトール・フランス、アインシュタイン、デューイなどが支援。人種的偏見、思想的偏見による冤罪といわれる。映画『死刑台のメロディ』。