池谷孝司


 1冊挫折。


 挫折64『死刑でいいです 孤立が生んだ二つの殺人』池谷孝司〈いけたに・たかし〉編著(共同通信社、2009年)/ワードのような活字に驚かされる。共同通信社の本でもこの体たらく。特異な殺人事件を追ったルポ。どう考えても意味のある仕事とは思えない。猟奇的な犯罪はいつの時代もある。多分、遺伝子の異常に起因しているのだ。私はむしろ、このような本を著そうとした著者の動機に問題があると考える。興味は関心を刺激されることで湧くものだ。猟奇性、残虐性を社会にばらまくような行為になってやしないだろうか? 20ページで読むのを中止する。発達障害と犯罪に関するものであれば、佐藤幹夫著『自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』がオススメ。

理性は対立的

岡●理性というのは、対立的、機械的に働かすことしかできませんし、知っているものから順々に知らぬものに及ぶという働き方しかできません。本当の心が理性を道具として使えば、正しい使い方だと思います。われわれの目で見ては、自他の対立が順々にしかわからない。ところが知らないものを知るには、飛躍的にしかわからない。ですから知るためには捨てよというのはまことに正しい言い方です。理性は捨てることを肯(がえん)じない。理性はまったく純粋な意味で知らないものを知ることはできない。つまり理性のなかを泳いでいる魚は、自分が泳いでいるということがわからない。


【『小林秀雄全作品 25 人間の建設』小林秀雄(新潮社、2004年)】


小林秀雄全作品〈25〉人間の建設 人間の建設 (新潮文庫)
(※左が単行本、右が文庫本)

祈りとしての文学

わたしを離さないで』は、アウシュヴィッツへの応答であると同時に、サルトルの問いに対する、作家イシグロの実践的応答として読むことができるだろう。彼らは人間らしくその生をまっとうすることはできないのだと、世界から当然のように見なされ、その生もその死も、世界に記憶されることのないこれら小さき者たちの尊厳を、小説こそが描きうるのだという応答である。それはまた今日の世界におけるパレスチナ的現実への応答であり、これら祈ることしかできない小さき人々に捧げられた祈りでもある。祈りとしての文学――。
 文学は祈ることができる。あるいは、祈ることしかできないのだ、と言うべきなのだろうか。だが、祈りとは何なのか。「解放の神学」の神父たちが銃をとったのは、祈りを無力と考えたからだ。人間が人間となった太古(いにしえ)から連綿とあったこの営みは、銃によって、あるいはダイナマイトによって、否定されねばならないのだろうか。


【『アラブ、祈りとしての文学』岡真理(みすず書房、2008年)】


アラブ、祈りとしての文学

しょう地三郎が生まれた日


 今日は日本の教育者・しょう地三郎(しょうち・さぶろう)が生まれた日(1906年)。教育学・心理学・精神医学のエキスパート。養護学校の先駆けとして「しいのみ学園」を創設。95歳で中国の障害児教育支援をし、数えで100歳になってからは世界一周講演旅行を毎年行う。生涯青春の気概は衰えず。


しいのみ学園