古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

ジョエル・ベイカン、マックス・ヴェーバー


 1冊挫折、1冊読了。


 挫折49『ザ・コーポレーション わたしたちの社会は「企業」に支配されている』ジョエル・ベイカン/酒井泰介訳(早川書房、2004年)/動画の足下にも及ばない。っていうか多分、動画の出来がよすぎたのだろう。見事な肩透かし。読みたい人はこちらよりも、河出書房新社から出ているDVDブックにした方がよい。


 90冊目『職業としての学問マックス・ウェーバー/尾高邦雄訳(岩波書店、1936年/岩波文庫、1980年)/巻末のあとがきと序文を先に読むべきだった。講演を編んだもので短かったから何とか読み終えることができた。時代背景を知らないと、牧歌的でのんびりした印象を受ける。1919年に行われた講演である。ヒトラーが政治活動を始めた時期だ。ドイツの世相が不穏な動きに包まれる中で、彼は青年に向かって「日々の仕事に帰れ!」と叱咤した。

私たちは何をすべきか? 何から始めるべきか?/『ザーネンのクリシュナムルティ』J・クリシュナムルティ

 同時代に果たしてこれほど世界を駆け巡った人物がいただろうか? 思想や宗教が人間の本質をわしづかみにすると国境を越えて広まってゆく。普遍性は言語や文化を超越して「人間の共通項」を炙(あぶ)り出す。エゴを支えているのは差異への執着だ。真実を叫ぶ一人の声は、やがて人類を照らす光となる。


 クリシュナムルティはスイスのザーネンで毎年夏に集中講話を行った。本書は25年間にわたって開催された最後の夏期国際講習会の講話が収められている。1985年の夏のこと。


 初日にクリシュナムルティはこう話し始めた――

 もしよければ、私たちは日々の生活を気づかう、真面目な人間の集まりだということを指摘したいと思います。私たちは、信念、イデオロギー、仮説、理論上の結論や神学上の概念には何の関心もないだけでなく、誰かに追従する集団である宗派を興そうとしているのでもありません。私たちは、願うに軽薄ではないつもりですし、むしろ世界で起きていることや──あらゆる悲劇や惨憺たる苦悩や貧困──それに対する私たちの責任について、共に気づかっています。
 また、あなたと私、つまり話し手は、共に歩み、共に旅をしているのだということも、指摘したいと思います。上空1万メートルを飛ぶ飛行機に乗っているのではなく、静かな道を、恐ろしいテロ行為、無目的な殺人、脅迫、誘拐、ハイジャック、殺害、戦争を目にする世界のいたるところに伸びている果てしない道を、歩いているのです。しかし、私たちはあまり気にかけているようには見えません。私たちが懸念し、心配し、恐れたりするのは、これらの事件がごく身近で起きたときだけです。事件がはるか彼方のものであれば、いっそう無関心になるのです。
 これが世界で起きていることです──経済的分裂、宗教的分裂、政治的分裂、そしてあらゆる宗教的、宗派的分裂。世界はおびただしい危険や災難に満ちています。未来において、私たちだけでなく子どもや孫たちの生涯においても、何が起こるのか見当がつきません。全世界が重大な危機に瀕しています。そして、この危機は外部にあるばかりでなく、私たち一人ひとりの内部にもあります。もしあなたがこのようなことに少しでも気づいているなら、この問題に対する各自の側の責任とは何でしょう。人は自分自身に頻繁に問いかけたに違いなかった──何をすべきかと。どこから始めるべきでしょう。各自が自分自身、自分の充足、自分の悲しみ、自分の苦悩、経済的な苦闘、その他もろもろのことにかまけています。けれども、私たちが住むこの恐ろしい社会と向き合ったとき、私たち一人ひとりは何をなすべきでしょう。各自が自分自身のことにかまけているのです。どうしますか。祈りの言葉を何度でも繰り返しながら神に祈りますか。それとも、どこかの宗派に属し、どこかの導師(グル)に従い、世の中から逃避し、中世風の衣や、現代的な一風変わった色の衣を身にまとうのでしょうか。僧侶のように、俗世間から完全に身を引くことができますか。(1985年7月7日)


【『ザーネンのクリシュナムルティ』J・クリシュナムルティ/ギーブル恭子訳(平河出版社、1994年)以下同】


「世界の危機」は「人間の危機」であった。「外部の危機」は「内部の危機」であった。


 それにしても見事に世界をスケッチしている。一対一の対話に徹した彼は、人々に共通する苦悩や葛藤を鋭く見据えてた。


 世界を語る人は多い。エゴイズムを平和で糊塗しながら政治的、経済的な覇権を争う目的で世界は語られる。大体の場合において、世界を口にするのは発展途上国から搾取している側のリーダーだ。そして彼等が示す世界とは、領土侵犯的なものであり、地政学的リスクの大小であり、軍事的・貿易的な利得に絡んだものである。政治は必ず人間をコントロールする対象と見なす。これが権力の本質だ。


 一人の力は弱く、大衆は無気力に取りつかれている。「どうせ……」と呟いた瞬間に、我々は単なる労働者や兵士となって権力者に利用される存在と化す。世界は相変わらずのままだ。いや、自分のため息やあきらめが小さな波動となって世界の劣化に拍車をかける。


 私はゴミとなり、砂粒となり、アトムとなるのだ。可もなく不可もなく、いてもいなくてもいい存在になり下がる。人間は透明化して消えかかろうとしている。


 私に何ができるのか? 私は何をなすべきなのか?

 新聞で読んだことや、ジャーナリストや小説やテレビの話などではなく、このすべてを見、直接観察するとき、私たち一人ひとりに課せられた任務や責任とは何でしょう。
 すでに言ったように、あなたを楽しませようとか、あなたが何をすべきかを──私たち一人ひとりが何をすべきかを──教えようとしているのではないのです。政治的、経済的、宗教的な指導者は大勢いましたが、彼らは【まったく】救いようがなかったのです。彼らには彼らなりの理論や方法があり、彼らに従っている何千もの人々が世界中にいます。彼らには、ローマカトリック教会が所有する富だけでなく導師(グル)が所有する富をも含めて、じつに膨大な富があります。すべては金銭に帰すのです。
 そこで、もし尋ねてよければ、私たちは共にどうしたらよいのでしょう。または、一人の人間としてどうしたらよいのですか。はたして、私たちはこのことを問題にしているでしょうか。それとも、自分のために何か特別な満足や喜びを探し求めているのでしょうか。私たちは宗教的な、または宗教以外のある種の象徴に縛られていて、その象徴の背後にあるものが助けてくれるだろうと願いながら、それにしがみついているのでしょうか。これはとても深刻な問題です。そして、この問題は、今日さらにきわめて深刻なものになりつつあります。というのも、戦争の脅威と、まったくの不確実性が存在するからです。


 確かに既成の権力や既成の宗教、既成の概念が世界を変えたことは一度もなかった。ただの一度もだ。世界や人間の共通原理を打ち立てることは可能かもしれないが、複雑化した社会に多様な価値観がある以上、一つの思想が世界を席巻することは考えにくい。政治的な世界統一も、やや陰謀論じみている。緩やかな枠組みを堅持しながらも、細分化しているのが世界の現状だろう。


 世界には争いが絶えない。政治、経済、科学、文化、宗教といったあらゆる次元でぶつかり合っている。そして我々は生まれながらにしてこれらに条件づけられているのである。


 私は日本人だ。すると日本の国益は私にとって望ましいことだが、他国にとってはマイナス益になる。相対性の連鎖の中で損得勘定に支配されているのが我々の人生だ。「すべては金銭に帰す」――。


 クリシュナムルティは初日の講話で自己認識の重要性を説いた。そして、「パターンを壊す」「言葉なしに見つめる」「悲しみに終止符を打つ」と展開していった。


 少なからず彼の声に耳を傾ける人々はいた。しかし世界は耳を貸さなかった。そして5年後の1990年に湾岸戦争が勃発した。


『暗号名イントレピッド』ウィリアム・スティーヴンスン/寺村誠一、赤羽竜夫訳



暗号名イントレピッド(上) 暗号名イントレピッド(下)

 1940年、英仏海峡へと破竹の勢いで進撃するナチ・ドイツの前に、イギリスの生存は危殆に瀕していた。この重大な局面に対処すべく、チャーチル首相は、一人の男に任務を与えた。
ヒトラーの世界征服の突破口は、この小さい島イギリスを降伏させることだ。このことをルーズヴェルト大統領に伝えてくれ!」
この使命を受けた人物は、科学者で第一次世界大戦時の空のエース、ヨーロッパ諸国を股にかけるカナダの実業家ウィリアム・スティーヴンソンだった。その使命と人柄に相応しく、暗号名は“勇猛な”を意味する《イントレピッド》だった。
 軍需品の援助が死活問題であった当時、彼は中立国アメリカとの秘密交渉にあたるとともに、「アメリカを戦場に参加させる」密名を帯びていた。そして、英米の諜報組織を統合する必要を感じたチャーチルの要請で、彼は強大な敵枢軸国とその傀儡政権を打破するため、国際的な大諜報網をもついイギリス安全保障調整局(BSC)を創設し、ニューヨークにその本部を置いた。
 史上最大の諜報機関と、この機関の総指揮をとり、チャーチルの密使、ルーズベルトの親友かつ顧問各で、OSSとCIAの名親であった人物の全貌を、30数年の固い沈黙機関を経て明かす記録。

映画『ミツバチの羽音と地球の回転』予告編





あなた個人を終点とする長い長い系図

 太古から恵まれた進化の系統に属してきたことだけでも、あなたは十分に運がよかったが、あなた個人を終点とする長い長い系図にも、極上の――奇跡と呼ぶしかないほどの――幸運がちりばめられている。38億年間、山河や海洋が生まれるよりもっと昔から、あなたの母方と父方、両方のすべての先祖が、配偶者を見つけるだけの魅力を持ち、繁殖可能な程度に健康で、なおかつそれを実践できるほど長生きする運と環境に恵まれていたのだ。その中の誰ひとりとして、巨獣に踏みつぶされたり、生で食べられたり、海に溺れたり、岸に打ち上げられて鰓(えら)呼吸ができなくなったり、不慮の怪我で生殖機能を損なわれたりすることなく、しかるべき時にしかるべきパートナーと遺伝的材料のささやかな授受・結合を行ない、しかるべき形質の組み合わせを次々ととぎれることなく送り継いで、最後の最後に、ほんの束の間、あなたというゴールへ行き着くたった一本の驚異の道をたどってきた。これがどんなに稀有なことか、考えてみるといい。


【『人類が知っていることすべての短い歴史』ビル・ブライソン/楡井浩一〈にれい・こういち〉訳(NHK出版、2006年)】

人類が知っていることすべての短い歴史(上) (新潮文庫) 人類が知っていることすべての短い歴史(下) (新潮文庫)

『資本主義の文化的矛盾』ダニエル・ベル/林雄二郎訳



資本主義の文化的矛盾 上 (講談社学術文庫 84) 資本主義の文化的矛盾 中 (講談社学術文庫 85) 資本主義の文化的矛盾 下 (講談社学術文庫 86)

 何か知らぬが現代が歴史的変動のただ中にあるのでないか、という実感は恐らく多くの人々にとって本能的に感じられることであろう。しかし、それがどのような原因によって起こっているのか、それは何を示しているのか、何を指向しようとしているのか、誰もがそれを知りたいにもかかわらず、よくわからない。そして言い知れぬ不安と焦燥にさいなまれている。そうした現代人の不安にこたえてくれるのが本書である。(訳者あとがきより)


 本書こそは、まさに現代人のための現代の社会学である。騒乱と混惑に終始した1960年代を、これほど鮮やかに分析した本はない。『イデオロギーの終焉 1950年代における政治思想の涸渇について』で登場し、『脱工業社会の到来 社会予測の一つの試み』にいたるまで、現代社会の本質を鋭く衝いてきたダニエル・ベルが、今その思想の全貌を明らかにする。政治、経済、文化がバラバラに分解した現代への処方箋は何か。宗教こそ新たな統一の基盤であるとする本書の提案を、真剣に受けとめねばならない。


 公共家族(パブリック・ハウスホールド)という言葉が、本書で初めて日本に紹介される。それは、今までの経済学や社会学が、個人と企業を中心に考えてきて、真剣にとりくむことのなかった第三の部門である。それはまさに脱工業化社会の中心領域である。日本でも、企業エゴ、住民エゴ、地域エゴ等と呼ばれる状況が生じてきた。争い合う権利要求のため、政治は立ち往生している。この現代的な問題を解決するのが、公共家族の理念なのである。

『二十世紀文化の散歩道』ダニエル・ベル/正慶孝訳



二十世紀文化の散歩道

 現代、そしてそれを準備した近代――この数世紀にわたる人間社会の「進歩の果実」を、全領域的に検証。新たなる視座から、人間社会への知的貢献を試みた野心作。