江副浩正、岡真理、イーブリン・ブロー


 2冊挫折、1冊読了。


 挫折43『リクルート事件・江副浩正の真実江副浩正〈えぞえ・ひろまさ〉(中央公論新社、2009年)/江副は人がよすぎる。だからこそ検察に付け込まれたのだろう。トーンが穏やかすぎて読む気が失せた。


 挫折44『記憶/物語』岡真理(岩波書店、2000年)/タイトルと著者名だけで私にとって読まずにはいられない作品である。だが、1ページも読むことなく放り投げてしまった。横書きだったのだ(涙)。しかも岩波書店の横書き本は、句読点を「,」「.」と表記しているので断じて許し難い。私はよほどのことがない限り、横書きの本は読まない。ついでに言っておくと、やたらと改行の多いブログやホームページの類いも読まない。


 87冊目『回想のクリシュナムルティ 第1部 最初の一歩……』イーブリン・ブロー/大野純一訳(コスモス・ライブラリー、2009年)/クリシュナムルティ本37冊目の読了。著者は『変化への挑戦 クリシュナムルティの生涯と教え』でホスト役を務めた女性で、クリシュナムルティアメリカ財団の理事。映像からは傲慢の臭いがプンプン漂っていた。他の登場人物がおしなべて誠実な笑顔で語っているため、傲慢な感じが際立っていた。星の教団時代のクリシュナムルティにやたらと注目する連中を私は「神秘派」と名づける。2部構成の著作の半分を星の教団時代に割いていることからも、イーブリン・ブローが神秘派であることは明らかだ。神秘派はクリシュナムルティを無意識のうちに神格化する傾向が強い。本書で注目すべきはクリシュナムルティの詩が紹介されていることである。これは私も初めて知った。大野純一が36ページもの「あとがき」を書いて、一生懸命自社(コスモス・ライブラリー)刊行本の営業に励んでいる。自分の行為がクリシュナムルティの精神と懸け離れていることに、まだ気づいていないようだ。

革マル派に支配されているJR東日本/『マングローブ テロリストに乗っ取られたJR東日本の真実』西岡研介


 読む前は「虫眼鏡本かな?」と思っていた。小さな事実を大袈裟なまでに拡大解釈して騒ぎ立てる本を私は虫眼鏡本と呼ぶ。予断は見事に外れた。タイトル通りの内容だった。驚愕の事実である。JRを利用している人は必読のこと。


 集団や組織は目的の下(もと)に形成される。そして組織の内部にあっては、目的に沿った力学が働く。基本的に「開かれた組織」というものは存在しない。組織は常に閉じられている。つまり組織内部の力学は法律や常識、あるいは倫理や道徳から距離を置き、「目的達成のための犠牲」を強いることが多々見受けられる。


 胡散臭い新興宗教や悪質なマルチ商法からの勧誘に遭遇した時、我々が覚える違和感は「閉ざされた集団内の論理」と「良識」との乖離(かいり)に基づいたものだ。

 約7500キロの線路網を有し、1日約1600万人が利用する「世界最大級の公共交通機関」、JR東日本。その最大・主要労組に「革マル派」という特定の思想集団が浸透し、労働組合を支配し、さらにはJR東日本の経営権にまで介入しているという事実が、この問題の核心部分である。
 革マル派に支配されたJR東労組幹部とJR東日本経営陣の癒着は、「JR東労組(組合員)ニアラザレバ、人(社員)ニアラズ」という悪しき風潮を生み出した。そして、それはJR東日本発足から20年で、もはや企業風土になってしまった。さらにその企業風土は絶えず、乗客の安全や、生命さえ脅かしかねない危険性を孕(はら)んできた。
 これらの問題の中心的存在が、JR東労組の絶対権力者で、「革マル派最高幹部」といわれる松崎明〈まつざき・あきら〉氏(71歳・以下敬称略)という人物である。


【『マングローブ テロリストに乗っ取られたJR東日本の真実』西岡研介講談社、2007年)以下同】

 革マル派というのは完全なテロリスト集団である。戦前の治安維持法を嫌悪する人であっても取り締まって欲しいと思うような連中だ。基本的に左翼は「暴力による革命」を標榜している。これが内部に向かって締めつける力として働くとリンチになる。

「日本革命的共産主義同盟革命的マルクス主義派」、略称「革マル派」。いまもなお「帝国主義打倒、スターリン主義打倒」、いわゆる「反帝、反スタ」を掲げ、共産主義暴力革命をめざす新左翼セクトである。
 革マル派は1963年の結党以来、10年余にわたって、中核派革命的共産主義者同盟全国委員会)や革労協革命的労働者協会)など対立セクトと、血で血を洗う「内ゲバ」を繰り返してきた。しかし70年代後半からは、組織拡充に重点を置き、党派性を隠して基幹産業の労組やマスコミなど各界各層に浸透。全国に約5400人の構成員を擁するといわれており、きわめて非公然性、秘密性、そして排他性の高い組織である。
 過去に「内ゲバ」という名の殺人を繰り返し、盗聴や盗撮、住居侵入や拉致監禁などの非合法な手段で、自らと主義主張の違う人たちを「Terreur」(フランス語で「恐怖」)に陥れてきた彼らを、「テロリスト」と呼ぶことに私は、なんら躊躇(ちゅうちょ)を覚えない。
 ただ、私は彼らの「思想」を問題にするつもりはない。むしろジャーナリズムに携わる者として、彼らの「思想・信条の自由」は、それこそ職を賭して守らなければならないと考えている。
 私が問題としているのは、彼らの「思想」ではなく、その「行動」なのだ。


 それにしても本書の内容には驚かされる。革マル派の工作活動はスパイ映画さながらである。革マル派思想を浸透させることを目的に作った組織のコードネームが「マングローブ」であった。

「なんなんだ、これは……」
 98年1月7日、東京都練馬区豊玉の6階建て雑居ビル。その最上階に踏み込んだ警視庁公安部の捜査員は、部屋の中から約1万4000本もの鍵の束を見つけ、思わずうめき声を上げたという。
 後に「豊玉アジト」と呼ばれるこの革マル派の非公然アジトからは、この約1万4000本の鍵以外に◎広島県警の警察手帳2冊と公安調査庁の調査官証票4通◎印鑑約400個◎革マル派担当捜査員の住民票や住宅地図をはさんだファイル◎無線機やイヤホンマイク◎偽装カメラ◎5000本を超えるカセットテープとビデオテープ――などが見つかった。
「約1万4000本の鍵のうち、半数の7000本ほどが、使用可能な状態に加工されていました。それらのなかには警察庁、警視庁幹部をはじめ、革マル派担当の捜査員の自宅の鍵まであったのです。
 しかも、実際に使われた形跡のある鍵も多い。驚くべきことに、その後の捜査の結果、革マル派が元警察庁長官宅に侵入し、資料や写真を盗み出していたことまで判明したのです」(捜査関係者)


 盗聴、侵入どころではない。デジタル化された警察無線が傍受され、更には公安警察の専用無線までもが筒抜けになっていた。


 何の躊躇(ためら)いもなく犯罪に手を染める集団がまともであるはずがない。JRには複数の組合があるが、松崎明率いる革マル派が牛耳っていたのは「JR東労組」である。組合員が同郷出身の別の組合員とバーベキューに行っただけで凄惨ないじめに遭う。擦れ違う電車からのパッシングや、挙げ句の果てには「信号を隠す」ようなことまで行われる。毎日毎日罵倒され続け、心理的に追い込まれる組合員はやがて職場を去ってゆく。こんなことが日常的になされているのだ。


 組合間の攻防が熾烈(しれつ)を極めると、鉄パイプで滅多打ちにされ死亡したケースもある。


 このようなテロ集団がなぜ野放しにされているかというと、何と公安幹部の天下り先になっており、公然と公安OBが捜査を妨害しているのだ。


 読み進むうちにオウム真理教を思い出した。オウムがロシアとネットワークがあったことや暴力肯定のポア思想を踏まえると、彼等は「宗教に名を借りた極左集団」であった可能性がある。


 マルクス主義唯物論の土壌から生まれた。人間を物質的、機械的に見つめる眼差しは暴力との親和性が高い。


 ソ連崩壊後、左翼という言葉は死語になりつつあると思っていたが大きな間違いであった。極左勢力が動かす鉄道を私は利用していたのだから。


マングローブ―テロリストに乗っ取られたJR東日本の真実

北海道新聞社説「調書不採用 これでは冤罪は消えぬ」

 検察が自ら描いた事件の構図に合わせて被告や容疑者の自白を誘導する。否認しても聞く耳を持たず、シナリオ通りに立件する。
 捜査のほころびだとか、詰めの甘さなどという次元の話ではない。自分たちの都合で強引に供述調書を作る手法に背筋が寒くなる。
 郵便割引制度の悪用に絡む厚生労働省の文書偽造事件。元局長の公判で、大阪地裁が検察側主張の最大の根拠だった元係長のすべての供述調書を証拠採用しないと決めた。
 検察が虚偽の自白を誘導した可能性が高いという理由からだ。
 当然の判断である。
 元係長は捜査段階で、上司だった元局長の指示に従って偽の文書を作成したと認めた。検事は「記憶なんてあいまいだから、取り調べた関係者の多数決で決めよう」などと調書への署名を求めたという。
「冤罪(えんざい)はこうして始まるのかな」「密室では検察に勝てない」
 元係長は、取調官とのやりとりを記録する被疑者ノートに「うそをつくな」と追い詰められ、不眠症になりながら調書に署名した経緯を克明につづっていた。
 しかし、公判では一転、元局長からの指示を否認した。検察の誘導でやむを得ずそう自白したのであり、虚偽の文書は自らの判断で作成したと主張を変えたのだ。
 今回の地裁判断は、2人を共犯とした厚労省ぐるみの犯罪という検察の描いた事件の構図が、根底から崩れたことを意味する。元局長が無罪になる可能性が濃厚となった。
 検察は事態を深刻に受け止め、猛省しなければなるまい。
 足利事件菅家利和さんや、富山氷見女性暴行事件の柳原浩さんら犯人にされた人の言葉が思い浮かぶ。
 共に虚偽の供述を捜査官に強要され、裁判でも訴えは認められず、長い間獄につながれた。犯行を否定しても信じてもらえず、責められる。
 苦しさに耐え切れず、どうにでもなれと認めてしまうというのだ。
 冤罪を生みだすこうした土壌を反省し、教訓にしようとする姿勢が今回の検察には感じられない。
 これまでも指摘してきたが、取り調べを録音・録画する全面可視化の実現をあらためて求めたい。
 刑事裁判では従来、供述した本人の署名・押印がある検察官作成の供述調書が証拠として採用されないケースは、ほとんどなかった。
 調書の在り方を厳しくついた今回の決定は、警察や検察の捜査はもとより、裁判所の審理にも厳しい注文をつけたと受け止めるべきだろう。
 裁判で厳格な証拠主義を徹底させなければ、裁判員が冤罪の一角を担うようなことにもなりかねない。


北海道新聞 2010-05-28

貧乏人がいなければ、金持ちは存在し得ない

 都内の国道沿いからモルタルの貧乏アパートが減ったのだって、貧乏人が減ったからではなく、彼らがその場所を追出されたからに過ぎないのだと私は思っている。
 それに、なによりも、我々の経済システムは、神の見えざる足によって不断に踏みつけにされている人々――つまり貧乏人――を常に必要としているのだ。
 そう、貧乏人がいなければ、金持ちは存在し得ない。このことはぜひ強調しておきたい。考えてみれば当然の話だが、富の源泉は、富にでなく、貧困にあるのだ。
 うかつに考える人々にとって、富は、生産力の増大によってもたらされるものであるように見えがちだ。しかし、全地球的な視野に立ってみれば、資源が有限である限りにおいて、富は、富の偏在によってしか保障されないのである。


【『無資本主義商品論 金満大国の貧しきココロ』小田嶋隆翔泳社、1995年)】


無資本主義商品論 金満大国の貧しきココロ