古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

『ブラッド・ダイヤモンド』エドワード・ズウィック監督


 以前から観たかった作品。帰省したところ何と実家にDVDがあった。僥倖(ぎょうこう)。ディカプリオが出演していることを知らなかった。女性ジャーナリストが登場したところで挫ける。ストーリーがもたついている上、場面展開が退屈過ぎる。


 ただ一つだけ素晴らしいのは、少年兵がつくられるまでのシーンだ。武器を持ってトラックで乗りつけた男達に部落が襲撃される。手足を鉈(なた)で切り落とされる。拉致(らち)された少年達は殺人を強要される。


 少なからず少年兵やシエラレオネの歴史に興味のある人であれば、一度は観ておくべきだろう。映画作品としては評価に値しないが、資料と考えればそれなりの価値はある。
 


ブラッド・ダイヤモンド [DVD] ブラッド・ダイヤモンド [Blu-ray]
(※左がDVD、右がBlu-ray


現代人は木を見つめることができない/『瞑想と自然』J・クリシュナムルティ

 ・現代人は木を見つめることができない
 ・集団行動と個人行動


 文明の進歩は人間を自然から隔絶した。密閉された住居、快適な空調、加工された食品、電線や電波を介したコミュニケーション、情報を伝えるメディア……。文明の進歩は人間を人間からも隔絶してしまったようだ。


「自然との正しい関係とは、実際は何を意味するのでしょう?」という質問にクリシュナムルティが答えた一部を紹介しよう――

 私たちはけっして木を見つめません。あるいは見つめるとしても、それはその木陰に坐るとか、あるいはそれを切り倒して木材にするといった利用のためです。言い換えれば、私たちは功利的な目的のために木を見つめるということです。私たちは、自分自身を投影せずに、あるいは自分に都合のいいように利用しようとする気持ちなしに木を見つめることがけっしてないのです。まさにそのように、私たちは大地とその産物を扱うのです。大地への何の愛もなく、あるのはただその利用だけです。もし人が本当に大地を愛していたら、大地の恵みを節約して使うよう心がけることでしょう。つまり、もし私たちが自分と大地との関係を理解するつもりなら、大地の恵みを自分がどう使っているか、充分気をつけて見てみるべきなのです。自然との関係を理解することは、自分と隣人、妻、子供たちとの関係を理解することと同じくらい困難なことなのです。が、私たちはそれを一考してみようとしません。坐って星や月や木々を見つめようとしません。私たちは、社会的、政治的活動であまりにも忙しいのです。明らかに、これらの活動は自分自身からの逃避であり、そして自然を崇めることもまた自分自身からの逃避なのです。私たちは常に自然を、逃避の場として、あるいは功利的目的のために利用しており、けっして立ち止まって、大地あるいはその事物を愛することがありません。自分たちの衣食住のために利用しようとするだけで、けっして色鮮やかな田野をを見て楽しむことがないのです。私たちは、自分の手で土地を耕すことを嫌がります──自分の手で働くことを恥じるのです。しかし、自分の手で大地を扱うとき、何かとてつもないことが起こります。が、この仕事は下層階級(カースト)によってのみおこなわれます。われわれ上流階級は、自分自身の手を使うには偉すぎるというわけです! それゆえ私たちは自然との関係を喪失したのです。(プーナ、1948年10月17日)


【『瞑想と自然』J・クリシュナムルティ/大野純一訳(春秋社、1993年)】


 木を見る。比較することなくただ木を見つめる。葉や花に捉われることなく全体を、木の存在そのものを見る。そこに「生の脈動」がある。人が木を見つめ、木が人を見返す。ここに関係性が生まれる。私も木も世界の一部だ。そして世界は私と木との間に存在している。私は木だ。私は木と共に【在る】。


 そんなふうに物事を見ることは殆どない。「見慣れる」ことで我々は何かを見失っているのだろう。「見える」のが当たり前と思い込んでいるから、「生きる」ことも当たり前となってしまう。このようにして二度と訪れることのない一瞬一瞬を我々はのんべんだらりと過ごしているのだ。


「明日、視力が失われる」となれば、我々の目は開くことだろう。「余命、3ヶ月です」と診断されれば、我々は真剣に生きるのだろう。


 生きるとは食べることでもある。生は他の生き物の死に支えられている。生には動かし難い依存性が伴う。そして食べることは残酷なことでもある――


命の授業900日 豚のPちゃんと32人の小学生


 美味しい肉に舌鼓を打つ時、屠(ほふ)られた動物の叫び声が我々の耳に届くことはない。欲望はあらゆるものを飲み込む。動物に課された理不尽な運命は易々(やすやす)と咀嚼(そしゃく)される。我々が気にするのは値段だけだ。家畜が屠殺(とさつ)される瞬間に思いを馳せることもない。


 文明は死を隠蔽(いんぺい)する。そして死を見つめることのない生は享楽的になってゆく。社会は経済性や功利主義に覆われる。


 生は交換することができない。資本主義経済はあらゆるものを交換可能な商品にした。現代人の価値観は「商品価値」に毒されている。出自や学歴、技術や才能で人間を評価するのは、人間が商品となってしまったためだ。だからこそ我々は「労働力」と化しているのだ。


「あの花を見よ」とクリシュナムルティは言う。花が見えなければ、自分の心も見えない。集中するのではなく、注意深く見つめる。「見る」が「観る」へと昇華した瞬間に世界は変容するのだろう。


人間の脳はバイアス装置/『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム
八正道と止観/『パーリ仏典にブッダの禅定を学ぶ 『大念処経』を読む』片山一良
観照が創造とむすびつく/『カミの人類学 不思議の場所をめぐって』岩田慶治
『「見る」とはどういうことか 脳と心の関係をさぐる』藤田一郎


ゴールドマン・サックスの歴史/『ゴールドマン・サックス 世界最強の投資銀行』リサ・エンドリック


ゴールドマン・サックス―世界最強の投資銀行

「世界最強の投資銀行」と呼ばれ、金融市場で絶大な力をふるうウォール街の名門投資銀行ゴールドマン・サックス。だが、そのビジネスの実態は、非公開のパートナーシップ経営という秘密のベールに包まれ、今日までほとんど知られることはなかった。本書は、自らヴァイス・プレジデントとして同社に勤務した著者が、創業以来130年にわたる波瀾万丈の企業ドラマを再現するとともに、その驚異的な成功の秘訣を明らかにするものである。日本版金融ビッグバンの始動、自己責任による資産運用の時代を迎え、いま日本で最も注目される国際的投資銀行の歴史と実力を初めて明かす注目の書。

実は信じられないくらい安い「物」の原価をバラしちゃいます


 これには驚いた――

“《MRI・CT・レントゲンの原価》定価の半値×0.8×0.7”


 例えば、定価が1億とすると、原価は何と2800万円って事ですね♪ これは昔よりの仕組みで、購入担当者を、院長・事務長などにこれだけ値引きしたと胸を晴らす為、メーカーが考え出した方法で、定価をかなり高く設定しているらしいです。


NAVERまとめ

直感的思考のスピード

 直感的思考はしっかりした推理というフィルターを使わずに、無意識のうちに私たちを先導する。というより、スピードの秘密は、ほかならぬその無意識にある。脳の深いところにある扁桃体(へんとうたい)は、たとえば、ある人の顔に表われた恐怖のサインを、30ミリ秒という速さで捉える。


【『世界は感情で動く 行動経済学からみる脳のトラップ』マッテオ・モッテルリーニ/泉典子訳(紀伊國屋書店、2009年)】


世界は感情で動く (行動経済学からみる脳のトラップ)

GDPとGNPの違い

 日本人歌手のアメリカ公演
 ……日本のGNPには入るが、日本のGDPには入らない。(アメリカのGDPに入る)


 アメリカ人歌手の日本公演
 ……日本のGDPには入るが、日本のGNPには入らない。(アメリカのGDPに入らない)


【『図解雑学 マクロ経済学』井堀利宏〈いほり・としひろ〉(ナツメ社、2002年)】


図解雑学 マクロ経済学 (図解雑学シリーズ)