古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

FRB(アメリカ連邦準備制度)とは

寺島しのぶの見上げた女優根性


 ベルリン国際映画祭コンペティションに出品された若松監督作品『キャタピラー』で最優秀女優賞を獲得。

「生活する人間を撮っているんだから、脱いで何が悪い。裸だけで騒ぐって、意味わかんないですよ」


『AERA』2010-03-01

宝月誠、岸田秀、小野田寛郎


 1冊挫折、2冊読了。


 挫折17『逸脱とコントロールの社会学 社会病理学を超えて』宝月誠〈ほうげつ・まこと〉(有斐閣アルマ、2004年)/横書きだった。横書きというだけで読む気が失せてしまった。


 33冊目『ものぐさ精神分析岸田秀〈きしだ・しゅう〉(青土社、1977年/中公文庫、1996年)/今月の課題図書。10年ぶりの再読。面白い。脳科学が発展した現在でも十分に通用する論理だ。二枚腰、三枚腰といったところ。性に関する部分が肛門のオンパレードでいささか鼻白(はなじろ)むが、それは私の幻想が強いためなのだろう。後半で心理学者をこき下ろしているが内部告発というよりも完全な反逆。やはり冒頭の国家と歴史について書かれたテキストが圧巻。あと2〜3回は読む必要がありそうだ。


 34冊目『たった一人の30年戦争小野田寛郎〈おのだ・ひろお〉(東京新聞出版局、1995年)/一気読み。いやはや凄い。何がこれほどまでに涙を誘うのか? 小野田さんが上官の命令によって「投降」したのは昭和49年(1974年)3月9日のことであった。実に終戦後から29年を経ていた。私は当時小学4年生だった。幼心に「凄い人がいるな」とは思ったものの、まさかこれほど凄い人だとは知らなかった。表紙になっている写真は投降前のもので、眼光の鋭さはまさに軍人のものである。当初は4人で行動していたが一人が昭和29年に死亡。一人は逃走。そして生死を共にしてきた小塚一等兵が昭和47年に射殺された。陸軍中野学校二俣分校で学んだ小野田さんは、中野学校そのものと化していた。中野学校で学んだ技術によって小野田さんは生き延びることができた。そして中野学校で叩き込まれた諜報活動の習性によって小野田さんは終戦を信じることができなかった。日本政府が幾度となく動き、家族による呼び掛けも行われたものの、小野田さんは「いまだ任務を解かれていない」という一点で諜報活動を続けた。本当にたった一人で30年間にわたって戦争を続けていたのだ。まず驚かされるのは、その冷静さである。飲み水に留意し、毎日大便の状態を検(あらた)めて健康をチェックする。口論となった際にも合理的な姿勢は変わらない。捜索隊が置いていった手紙は「秘密開緘」(ひみつかいかん)という方法で開封した痕跡が残らないようにした。こうしてフィリピンのルバング島で「残置諜者」(ざんちちょうじゃ)として戦い、じっと日本軍を待ち続けていた。30年ぶりに帰ってきた祖国は金まみれになっていた。当時の田中内閣からの見舞金100万円を、小野田さんは靖国神社に奉納した。苛酷な30年間は勘違いといえば勘違いである。だが我々が生きている物語も大なり小なり「心のルバング島」に囚われていることだろう。小野田さんは清廉に生きた。その事実が読者の心を打たずにおかない。傑作である。

米国で極右組織が急増、09年は前年比3倍

 米国内のヘイトグループ(人種や宗教に基づく差別・排斥を扇動する集団)に関する調査を行っている人権団体、南部貧困法律センター(Southern Poverty Law Center、SPLC)が2日発表した報告によると、過激な反政府主義や陰謀説を掲げる極右組織や武装集団がここ数年で、急増しているという。
愛国者」を名乗り活動しているこうした極右組織の数は、2008年には149団体だったが、翌2009年には512団体と、約3倍に急増した。うち武装集団は、前年の42団体から127団体に増加した。
 同センターによると、極右組織は政府を第1の敵と位置づけ、あらゆる種類の陰謀説にとりつかれているという。
 極右組織の急増の背景には、米国人口における人種構成の変化や、それを体現したとも言える米国初の黒人大統領の誕生、また膨張する国家債務や破たん金融機関に対する救済に対する不満があると指摘している。またそれらの組織は、オバマ政権の一連の政策を「社会主義的」あるいは「ファシスト的」だと主張している。


【AFP 2010-03-05】

繁栄と多忙が「祈り」を葬る

 繁栄も祈りを弱体化するだろう。あちこち旅をするなかで、発展途上国のクリスチャンは祈りの効果をあれこれ考える時間が少なく、より多くの時間を実際に祈ることに費やしていることがわかった。裕福な人々は、当面の問題を解決するには才能や資産を、将来の保障には保険証券や退職年金制度を当てにする。貯蔵庫に1か月分の食料品の蓄えがある私たちは、「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」と真剣に祈ることなどほとんどない。
 時間の重圧は、祈りに必要と思われるゆっくりした時間の流れをどんどん閉め出してしまう。他者とのコミュニケーションは、テキストメッセージ、電子メール、瞬間的な電子通信など、ますます簡素なものになっている。会話をする時間が減る一方で、じっくり考える時間はもっと少なくなっている。絶えずつきまとう「不足」感。時間不足、休息不足、運動不足、余暇不足。すでに予定から遅れているような生活のどこに神の入る余地があるだろう。


【『祈り どんな意味があるのか』フィリップ・ヤンシー/山下章子訳(いのちのことば社、2007年)】


祈り―どんな意味があるのか