1994年に起きた「ルワンダ大虐殺」のきっかけとなった同国大統領の乗った航空機が撃墜された事件について、ルワンダの調査委員会がこのほど、事件の首謀者はルワンダのフツ人(Hutu)政権内の過激派だったとする報告書をまとめたことがわかった。
AFPが6日に入手した報告書の写しによると、事件は当時の政府と、ツチ人(Tutsi)反政府勢力「ルワンダ愛国戦線(Rwandan Patriotic Front、RPF)」との連立政権の成立を阻止するため、ルワンダ国軍(Rwandan Armed Forces、FAR)上層部がクーデターの一環として首謀したものだったという。
和平協定直後に暗殺
フツ人とツチ人の対立が続いていたルワンダでは、1993年にジュベナール・ハビャリマナ(Juvenal Habyarimana)大統領(当時、フツ人)がタンザニアの首都ダルエスサラーム(Dar es Salaam)で、ルワンダ愛国戦線との和平協定に調印した。
しかし翌94年4月6日、ハビャリマナ大統領とブルンジのシプレン・ヌタリャミラ(Cyprien Ntaryamira)大統領を乗せた専用機が、ルワンダの首都キガリ(Kigali)の空港近くで地対空ミサイルにより撃墜され、両大統領は死亡。この事件がきっかけで、多数派のフツ人が少数派のツチ人とフツ穏健派を襲撃した、いわゆるルワンダ大虐殺が発生した。
虐殺の被害者は80万人といわれる。ルワンダ政府は2007年4月、事件の真相を解明するため、調査委員会を発足させていた。
フランスの関与はグレーゾーン
大統領機撃墜事件については、大虐殺に関与したとルワンダ政府が批判するフランス側も、独自の調査を行っている。
前年11月9日には、事件に関して「テロリズムに関連した殺人に共謀」した容疑で、元ゲリラ兵で当時ルワンダのポール・カガメ(Paul Kagame)大統領の側近として儀典長を務めていたローズ・カブイエ(Rose Kabuye)容疑者をドイツで逮捕、裁判が行われるパリ(Paris)に身柄が移送された。
今回のルワンダの報告書は、ハビャリマナ大統領暗殺へのフランスの関与は見られないとしているが、当時の軍事合意の一環でルワンダに駐在していた仏軍当局者らが墜落現場に入り、フライトレコーダーとミサイルの残がいを持ち去ったと指摘している。
フランス政府は、大虐殺への加担を否定し続けている。
なお、撃墜事件をめぐりフランスと断交していたルワンダ・ブルンジ両国は前年11月、国交正常化を表明。ベルナール・クシュネル(Bernard Kouchner)仏外相は6日、国交再開後初めて、キガリを訪問した。
養老孟司と山本義隆
研究室の助手をしていた頃、当時盛んだった全共闘運動の被害を受けた。研究室がゲバ棒を持ち覆面を被った学生達に押し入られ、「こんな一大事に研究なんかしている場合か」と非難されながら研究室を追い出された経験をして以来、「学問とは何か」「研究とは何か」「大学とは何か」といった問いに対して考え続けており、「私のなかで紛争は終わってない」と述べている。そのような過去の経緯もあって、かつて東大の全共闘議長であった山本義隆の『重力と磁力の発見』が大佛次郎賞を受賞した際に養老は、同賞の選考委員でありながら、著作への授賞に異存はないとしつつも、自らが全共闘運動から受けた影響(全共闘運動により研究室から暴力的に追い出されたなどを理由に「(個人的な)背景を含めた選評は拒否するしかない 」という強い調子の文章を発表して話題となった。
- 私的画像日記 2003-12-15
- 滴水録 2003-12-18
- 蕩尽伝説
- 山本義隆のアクチュアリティ
- 日月抄
- 1968年の喧騒と熱狂の政治動乱を扱ってスローガン、落書き等を素材にテープに歌ったルイジ・ノーノ(1924-90)の『NON CONSUMIAMO MARX』(1968)ほか。
神は頭の中にいる
脳がある体験をすることと、外界にその対応物が存在することは、別なことである。宗教では、ときどきこれを一緒にするから困る。科学と喧嘩になる。こう考えてみよう。数学で世界を解釈すれば、できないことはない。しかし、それでは世界の大部分はこぼれ落ちてしまう。数学に色はあるか、恋はあるか。では数学とはなにか。それは要するに脳の機能である。つまり脳内の過程である。
では神秘的体験とはなにか。それも脳の機能である。テンカンの患者さんに、しばしば神秘的体験、法悦状態を感じる人がある。だからといって、数学者をとくに馬鹿にしないのと同様、こうした体験を馬鹿にする必要もない。それが「人間」だからである。あるものは、そこにあるものとして認めるしかない。しかし、頭の中にあるものを外にあると言い張るつもりは、私にはない。外にあるものなら自然科学で扱うことができる。頭の中はそうはいかない。こればかりは、それぞれの人に固有のものである。だから個人が生きている。それが個人の価値観である。
(※左が単行本、右が文庫本)