古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

『生と覚醒のコメンタリー 1 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ/大野純一訳(春秋社、1984年)


 2005年の新版が絶版となっており既に高値が付いている。私は先日、旧版をヤフーオークションで入手したが、amazonの古本の方がずっと安いことに気づいた(涙)。まだ、安いものがあるので、気になる方は速やかに入手すべし。


生と覚醒のコメンタリー 1 クリシュナムルティの手帖より


生と覚醒のコメンタリー 1 クリシュナムルティの手帖より


生と覚醒のコメンタリー―クリシュナムルティの手帖より〈1〉

著者が唱える「顕密体制」に異議あり/『戦国仏教 中世社会と日蓮宗』湯浅治久

 込み入った話題が多く一般向けではない。またテーマが曖昧なため、締まりを欠いた内容となっている。歴史の断片を取り上げることに異論はないが、意味性・物語性を示さなければ些末な事実で終わってしまう。


 中ほど以降は飛ばし読みのため、思いつくままに書くことを許されよ。

 奈良や京都といった古都の大寺院はさておき、地域にある寺院の成り立ちを考えた時、まず思い浮かべるのは鎌倉仏教である。鎮護(ちんご)国家を旨とする古代仏教に対して、民衆の救済を掲げ、すぐれた宗教家が唱えた浄土宗・日蓮(にちれん)宗などのことで、まさに中世を代表する仏教、それが鎌倉仏教、または鎌倉新仏教というものである。
 しかし現在、こうした「通説」を支持する日本中世史の研究者はほとんどいない。中世に普遍的な仏教は、顕密(けんみつ)仏教である。それは何かというと、かつては古代的といわれていた比叡山(ひえいざん)や高野山(こうやさん)などが、じつは中世的な変貌(へんぼう)をなしとげ、莫大(ばくだい)な荘園を擁する宗教勢力として社会に君臨する。それらを顕密仏教というのである。そしてそのイデオロギーは民衆を呪縛(じゅばく)し、貴族や僧侶(そうりょ)、そして武士の支配を補充する役割を果たしていた、という。


【『戦国仏教 中世社会と日蓮宗』湯浅治久(中公新書、2009年)以下同】


 初耳だ。全く知らなかったよ。今検索したところ、黒田俊雄という歴史学者が唱えた説のようだ。「顕密体制」だってさ。

 しかし、戦前から戦後を通じて、ごく常識的に唱えられてきたこうした鎌倉仏教観は、現在、大きな修正を迫られている。それは古代以来の八宗(いわゆる南都六宗と天台・真言宗を指す)を中心とする顕密仏教こそがじつは中世の主要な仏教である、という主張による。鎌倉仏教などは、顕密仏教の社会における影響力を考えると、せいぜい顕密仏教の異端の一つにしかすぎないというのである。


 これが非常に胡散臭いのは、湯浅治久の立ち位置が不明なためだ。つまり、政治的な影響力から歴史を捉えるのか、あるいは経済的な視点から人々の動きを見つめるのか、はたまた宗教的な思想性から鳥瞰するのかが全くわからない。実にいい加減な姿勢である。


 黒田説の詳細を私は知らないが、きっと財政&軍事力から展望したものであろう。もしそうであれば、「寺社勢力」という言葉は腑に落ちる。


 中世の二大スターといえば、最澄(伝教大師)と空海(弘法大師)である。これに異論を挟む者はあるまい。そして、この二人はともに密教を伝えたのだ。とすると、思想的には「密教体制」になってしまうのだ。


 鎌倉仏教の最大のポイントは、鎮護国家を目的として平安時代に輸入された中国仏教を、「日本化」したことに尽きると私は考える。特に鎌倉時代最大の反逆者であった日蓮は、断固たる態度で仏教思想を吟味し法華経を宣揚するに至った。諸宗への徹底した批判を貫き、遂には幕府権力者をも諌(いさ)めた。日蓮は終生にわたって権力による庇護を拒絶した。


 日蓮は二度命を落としそうになり、更に二度の流罪が科せられている。法然もまた流罪の憂き目を見た。つまり、平安時代の二大巨頭が権力者に守られていたのに対して、鎌倉時代の宗教リーダーは権力者から迫害された分だけ、思想的格闘を経ていると私は考えている。


 もちろん、どちらが上でどちらが下などということを論じるつもりはない。ただ湯浅が、何とはなしに誰かの唱えた説に乗っかって、歴史を大雑把に捉えようとするのが気に食わないだけだ。更には、鎌倉時代の民の苦悩を見逃しているとしか思えない。真の宗教とは、苦悩に呻吟(しんぎん)する民の中から生まれるものだ。そこを外してしまえば、「勢力としての教団」しか見えてこないであろう。