鍋かむり日親/『反骨の導師 日親・日奥』寺尾英智、北村行遠


 日蓮は国家権力と真っ向から対峙した人物だった。門下も好戦的で強烈なキャラクターの持ち主が多い。分裂を繰り返す日蓮系教団の中にあって、最も勇名を轟かせているのが日親(1407-1488年)である。足利幕府に捕えられた日親は、熱した鍋を頭にかぶせられても、尚唱題(※南無妙法蓮華経と唱えること)をやめることがなかった。その不屈の闘志を称えて、後世の人々は「鍋かむり日親」と呼んだ。

 日親が押し込められた獄舎の状態は、誠にひどいものであった。『埴谷抄』に記されたその様子は、

 四畳敷に卅六人入れられたるつめ籠(ろう)に入れさせ給き。余りに不便なりとて、翌日彼の越前守(えちぜんのかみ)余の者を廿八人出して六角の大籠に移し、八人ばかり留め置かれたりき。籠の高は四尺五寸(約136センチ)、上より打たるる釘はさきを返さず中に流すなり。

 というもので、立つこともままならず、横になって体を休めることもできないようなありさまであった。それは「洛中(らくちゅう)においてその隠れ有るべからず」と述べられているように、万人の知るところであった。
 こうして日親は一年半を獄舎につながれ、さまざまな法難を受けた。江戸時代に本法寺日匠が著した『日親上人徳行記』には、次のように列挙している。
(一)炎天に日親を獄庭に引き出し、薪(まき)を積んで火を付け、これに向かわせて、苦悩耐えがたければ念仏を唱えよと強要した。(二)凍りつくような寒夜に獄庭に引き出し、裸のまま梅の木に縛り付け、夜通し笞(むち)打った。(三)日親を浴室に入れて戸を閉じて、三時ばかり火をたき続けた。(四)梯子(はしご)に日親を縛りつけ、堤子(ひさげ)に水を汲んで口から流し込んだ。三六杯に至るまではこれを数えたが、その後いくらになったか数えきれないほどであった。(五)竹串をもって日親の陰茎(いんけい)を突き刺し、あるいは焼鍬(やきくわ)を両脇の間にはさませたりして苦しめた。(六)まっかに焼いた鍋を日親の頭の上にかぶせた。髪は燃え肉も焼けただれたが、大きな苦悩もなく、しばらくの後本復した。(七)将軍が獄吏(ごくり)に命じて日親の舌を抜かせようとした。ところが獄吏はこれを憐れんで舌頭を少し切り取った。
「火あぶり」や「なべかむり」の刑は、死刑といってもよいものであったから、日匠が記すような法難が、果して実際に行われたものであるのかどうかは、疑問の余地もある。しかし、『埴谷抄』に「水火の責」「禁獄強(拷)問の責め」と記されるように、相当に重い肉刑を加えられたことは事実であろう。このような法難にも屈せず、法華経信仰を貫き通したところに、後世「なべかむり日親」の姿が形作られ、人々に広まっていったものであろう。


【『反骨の導師 日親・日奥』寺尾英智〈てらお・えいち〉、北村行遠〈きたむら・ぎょうえん〉(吉川弘文館、2004年)】


 日親は日蓮に倣(なら)って足利義教に対して諌暁(かんぎょう)した。現在の言葉でいえば「宗旨替えを迫った」ということになるが、当時の感覚は異なっていたことだろう。多分、政治と宗教の距離もそれほど離れていなかったはずだ。


 仏教は元々輸入された時点から「鎮護国家」を目的としていた。というよりは、むしろ国家という枠組みを作り上げるための思想をこの国が求めていたのだ。つまり、仏教は政治目的で日本に導入されたといってよい。


 日本古来の神道は宗教というよりは習俗に過ぎなかった。それに対して仏教は、紛れもなく世界に通用する思想であった。そして思想は人間を変える。仏教は政治という枠に収めきれる代物ではなかった。


 ブッダとは「覚者(かくしゃ)」の謂いである。目覚めた人物の偉大な思想に触れた人々は、自らも目覚めることで権力者を恐れなくなる。都合が悪くなった権力者は好きなだけ迫害を加えた。


 こう書いていると、当時の仏教と現在の民主主義が非常に似た性質であることに気づく。権力者は統制するために思想を利用し、広まった思想が今度は権力者に立ち向かうのだ。まるで、ゴムひものように。真の思想が示しているのは、こうした弾力性に他ならない。


反骨の導師 日親・日奥 (日本の名僧)

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 タントリズムにあっては、すべてがシンボルに置きかえられる。世界も仏もシンボルとなる。シンボルあるいは記号の集積の中で、タントリズム儀礼あるいは実践が行われるのである。後ほど考察するマンダラも、シンボルあるいは記号の統合された集積にほかならない。かたちのあるもろもろのもの(諸法)が、かたちあるままで「熱せられて線香花火の火の玉のように震えながら」シンボルとなるのである。


【『はじめてのインド哲学立川武蔵〈たちかわ・むさし〉(講談社現代新書、1992年)】


はじめてのインド哲学 (講談社現代新書)