古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

マーシャル・ゴールドスミス、イシメール・ベア


 1冊挫折、1冊読了。


 挫折12『コーチングの神様が教える「できる人」の法則』マーシャル・ゴールドスミス、マーク・ライター/斎藤聖美訳(日本経済新聞出版社、2007年)/24ページで挫ける。本文の冒頭に「私についてお話ししよう」と書いてあるのを見て、思わず「いえ、結構です」と声に出した。鼻持ちならないヤンキーの匂いに耐えかねた。また、そういう顔つきをしているんだよな。タイトルの付け方も品が無さ過ぎる。


 32冊目『戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった』イシメール・ベア/忠平美幸訳(河出書房新社、2008年)/今日一日で読み終えた。シエラレオネ元少年兵による手記。レヴェリアン・ルラングァ著『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』を彷彿とさせる。しかも同時期である。前半は戦乱の渦中で家族を殺された12歳の主人公が、逃げ続けた果てに政府軍に参加して反乱軍を殺戮する内容。後半は政府軍から放り出され、リハビリテーション施設で治療を受け、新しい人生を歩む様子が描かれている。とにかくプロットと文章が巧み。イシメール・ベアは1980年生まれ。戦場でマリファナやコカインなどの薬物を常習してきた少年達は、リハビリ施設内でも元反乱軍と聞くや否や、相手を刺し、目玉を抉(えぐ)り抜き、隠し持っていた手榴弾を放つ。子供の視点から描かれているため深刻さが稀薄で、そのことが問題の深さを一層鮮やかにしている。イシメール・ベアはリハビリ治療を受けた後、叔父に引き取られるが、またしても戦乱に巻き込まれる。その後、一人でシエラレオネを脱出し米国に渡る。現在はアメリカの国際人権NGOの職員として活躍している。

米国クレジットカード事情

  • クレジットカード保有枚数 1人当たり8.6枚(20歳以上人口、1人当たり6.9枚) 米商務省センサス局の2006年の統計
  • カード保有者1人当たりで見たクレジット残高は5123.5ドル(約50万円)
  • 日本/1人当たり3枚(20歳以上) 日本クレジット産業協会調査
  • 日本/9割以上が1回払い 三菱UFJニコス2006年調査
  • 米国家計の貯蓄率は、1980年代以降一貫して下がり続け、今回の金融危機の直前である2005〜06年にはほとんど「ゼロ」

日経ビジネス

医薬品ネット規制に潜む厚労省の裁量


「医薬品の販売等に係る体制及び環境整備に関する検討会」のメンバーは、北里大学の井村伸正名誉教授を中心とする「井村グループ」で構成されている。「行政の最大の受益者、国民を無視した政策プロセスを、厚労省が進めている」。

ガンディーは「死の断食」をもって不可触民の分離選挙に反対した/『不可触民の父 アンベードカルの生涯』ダナンジャイ・キール

 アンベードカルは巨象の尾を踏んだ。それがどんな事態を招くことになるかを知っていながら。獄中にあったガンディーは国民的人気を利用して、不可触民の分離選挙をトリッキーな方法で妨げた。ハンガーストライキ(死の断食)を強行したのだ。命懸けのパフォーマンスであったが、これほどまでにガンディーはカースト制度を信奉していた。そして、インド中からアンベードカルに対し非難中傷の嵐が吹き荒れた――

 各界の指導者、友人、その他様々な人びとが彼(アンベードカル)の下に押し寄せ、彼との話合いを求めた。猛烈なアンチ・アンベードカルキャンペーンが開始され、彼は再び化物、裏切者になった。
 アンベードカルはしかし落着き払っていた。彼は別の声明を発表し、不可触民問題は比較的重要性が小さく、インド新統治の付帯的なものだ、という円卓会議でのガンディーの言葉を紹介しつつ、
「円卓会議であれほど主張していたインドの独立のためにこそ、このような非常手段を採ればよろしかろうに」といい、「自己犠牲の理由として、コミュナル裁定の中で不可触民特別代表制だけを取り上げるとはなんとも奇妙で痛ましい話である。分離選挙は不可触民階級だけではなく、回教徒、シク教徒、クリスチャン、アングロインディアン、ヨーロッパ人にもあたえられているのに」と皮肉った。
 更に、もし回教徒、シク教徒への分離選挙が国家を分裂に導かないのなら、不可触民階級への分離選挙もヒンズー社会の分裂をもたらすこともないだろうといい、
「これまでも不可触民制を廃止し、不可触民階級を向上させ、そのような忌わしい階級を無くそうとひたすら努めた多くのマハトマはいた。しかしことごとくその使命は失敗に帰した。いつの世にもマハトマは現れ、去っていった。そして不可触民だけが常に不可触民として残されてきた」と結論した。


【『不可触民の父 アンベードカルの生涯』ダナンジャイ・キール山際素男訳(三一書房、1983年)】


 アンベードカルは巨象の尻尾を踏みつけたまま、泰然自若としていた。彼はマハトマの権威を恐れることがなかった。ただただ、不可触民が苦しみ続けることを恐れた。

 分離選挙とは、不可触民が独自の候補者を立てて、かつ、独自の選挙を不可触民だけの選挙区内で実施しようという方法である。


【「松本勝久の部屋」による】


 他宗教の人々には認められている分離選挙であったが、ガンディーは同じヒンドゥー教徒であるにもかかわらず、不可触民という理由だけで絶対に容認しなかった。


ジョージ・フォアマンの復讐/『彼らの誇りと勇気について 感情的ボクシング論』佐瀬稔

 佐瀬稔はムラが多い作家だ。というよりはむしろ、本書の完成度が高過ぎたのかもしれない。「ファイト」という名の詩を前にした途端、他の作品は色褪せてしまう。ジョージ・フォアマンは引退後、宣教師となった。それから10年後、青少年の更生施設の建設費用をつくるために再びリングへ上がった。フォアマンの復活劇を佐瀬は謳い上げる――

 絶対にラッキー・パンチのたぐいではない。ロドリゲスのアゴが弱過ぎたせいでもない。120kgの巨体が持つ力と、そして失われた歳月の間に蓄えたもの、すなわち、おのれの身を捨てる勝負度胸、相手を罠にかける狡知、何よりも、効果的なパンチを打つ技術。それらのすべてを、一個の凶悪な弾丸に凝縮してのワンパンチ・ノックアウト。
 リングサイドのイードニー・ロドリゲスがわっと涙にくれた。友人たちは、なぐさめる言葉を知らず、茫然と立ちすくむ。
 41歳の真実がギラギラッと光った一瞬である。
 リング上で、フォアマンが意識不明のロドリゲスを冷やかに眺め下ろしている。あわれなギーガーではない。肥った道化師でもない。大きくて強くて重くて、狡知にたけた王。キンシャサでアリのしかけた罠に落ち、暗殺された王が、人生に立ち向かっていく勇気と、絶対に諦めない執着心のゆえに蘇(よみがえ)って歳月に復讐をとげた。


【『彼らの誇りと勇気について 感情的ボクシング論』佐瀬稔世界文化社、1992年)】


Wikipedia
キンシャサの悲劇/ジョージ・フォアマンvsモハメッド・アリ その一
キンシャサの悲劇/ジョージ・フォアマンvsモハメッド・アリ その二
ジョージ・フォアマン・ハイライト
45歳で再び世界ヘビー級チャンピオンに