「空」とは否定作業によって自己が新しくよみがえるプロセスの原動力/『空の思想史 原始仏教から日本近代へ』立川武蔵
・「空」とは否定作業によって自己が新しくよみがえるプロセスの原動力
・「私」とは属性なのか?〜空の思想と唯名論
・枢軸時代の変化
・「空」の語意
仏教史を辿り、「空」の概念がどのように変質していったかを見事に捉えている。労作。文章がいいので、難しくてもスイスイ読める。ただし、素養のない人には無理。それにしても、空の思想は奥が深い。
神、世界、肉体そして言語の存在を否定していった果てに何が残るのかを、竜樹も彼の後継者たちも明確に言い残してはいない。「まったき無」なるものがそもそもありえるのか否かも定かではない。というよりも、空の思想はその「まったき無」がどのようなものであるかを、正面から問題にしたことはない。重要なのは、否定作業の続く中で、「まったき無」に至る前のもろもろの否定の段階において、その都度新しい自己のよみがえりが可能なことである。
「空」とはこのように、否定作業によって自己が新しくよみがえるというプロセスの原動力である。
そう考えると250や500もの戒律は、否定作業を教条主義化したことから生まれたと推察できる。立川武蔵は、軸の時代(=枢軸時代)に登場したブッダ、イエス、ソクラテス、孔子の四大スターを「自己否定」というキーワードで読み解こうとしている。もちろん、ここでいう否定とは、次のステップアップのための否定である。
思想というものは、常識への「否定」から出発し、時代という大波をくぐり抜けた後には、古い思想も生かされているものだ。それにしても、かの時代の否定作業の何とまばゆいことか。人間を見つめるダイナミックな眼差しからは、人類の背骨に芯を入れる作業であったことが理解できる。今時の否定ときたら、単なる攻撃で分断目的に過ぎないもんね。
・ブッダは信仰を説かず/『原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一話』アルボムッレ・スマナサーラ