古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

官僚の特権意識が不正を正当化する/『歴史を精神分析する』岸田秀

 読んでから随分と時間が経ってしまった。1997年1月発行。今頃出せば、もっと売れていたことだろう。時代を先読みし過ぎた感がある。


 岸田秀の言い分は、『ものぐさ精神分析』に尽きており、他の著作は焼き直しに過ぎない。これは本人もそう語っている。「唯幻論」という原理は非常に便利な代物で、何にでも当てはめることが可能だ。


 岸田秀が本書で指摘しているのは、官僚組織が自己目的化し、自閉的共同体となっていることだ。

 特権意識がよくないのは、官僚が国民に対して威張っていい気分になるからではない。官僚がいい気分になるだけですむなら、大した害はない。特権意識が危険なのは、官僚が国民の犠牲において多大の利益を享受することを正当化する根拠として使われるからである。官僚の不正の背景には、必ず、おれはとくに選ばれた優秀な人間で、国のためにこんなに働いているのだから、これぐらいのことはいいんだというような、不正を正当化する特権意識がある。腐敗官僚は気が咎めながらコソコソと不正をしているわけではない。だから、逮捕されたりすると、運が悪かったとしか思わないのである。


【『歴史を精神分析する』岸田秀(中公文庫、2007年/新書館、1997年『官僚病の起源』改題)】


 それにしても、メディアがこれだけ天下りに言及しながらも、一向になくなる気配がないのはどうしたことか。公金横領・税金詐欺が堂々とまかり通っている。犯罪はスケールが大きいほど見えにくくなる。メディアは像の一部しか報じない。そして、群盲と化した国民は象を撫でて好き勝手を言うのだ。


 象をここまで大きく育てたのは自民党だ。自民党は象使いなのだ。そうであれば当然のように持ちつ持たれつの関係性となる。


 カレル・ヴァン・ウォルフレンは『日本権力構造の謎』(ハヤカワ文庫)で、日本には真の意味での権力者がいない。日本における権力はシステムと化しており、権力システムは東大法学部の人脈によって支えられていると喝破した。国家を国民の手に取り戻すためには、東大を潰すしかないとも書いていたように記憶している。


 


 資本主義は競争原理が支えている。問題は、競争のルールが統一されていないところにある。アメリカの金融危機に対応すべく、米・欧・日で時価会計を緩和し、簿価での計上を認める動きがあるが、これまた同様の話だ。力の強い者に都合が悪くなると、ルール変更が認められるというのが、実は資本主義経済の本当の姿であった。最初っから競争“原理”なんかなかったんだよね。「神の見えざる手」だと? ケッ、神様は今頃ヘソでお茶を沸かしていることだろう。


 官僚&自民党は、きっと胴元なんだろう。「税金奪い合いゲーム」の。連中はプレイヤーではないのだ。そう考えるとわかりやすい。天下りってえのあ、寺銭(てらせん)のことだったんだな。


 やっとわかったよ。本当の問題は、プレイヤーである国民が一番人気である自民党にしか賭けてこなかったところにあるのだ。恐ろしいことは、賭ける金額(=税金)まで自民党が決めていたことだ。


 子供が生まれたら、官僚にしようっと。