古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

腐敗しきった警察組織/『桶川ストーカー殺人事件 遺言』清水潔

 ・腐敗しきった警察組織
 ・警察署ワースト3
 ・埼玉県上尾警察署には「人間」がいなかった
 ・一流メディアと三流週刊誌

『去就 隠蔽捜査6』今野敏
『証拠調査士は見た! すぐ隣にいる悪辣非道な面々』平塚俊樹
・『シャドウ・ストーカージェフリー・ディーヴァー


 ストーカー規制法のきっかけとなった事件のルポ。著者は写真週刊誌『FOCUS』の記者。覗き趣味のイエロージャーナリズムにも良心があることを示した傑作だ。腐敗しきった埼玉県上尾暑の実態を暴き、挙げ句の果てには著者が犯人を特定した。


 私は全く知らなかったのだが、桶川ストーカー事件の犯人はヤクザまがいの人物で、不特定多数のチンピラを使って嫌がらせを繰り返していたという。被害者を刺殺したのも彼の配下だった。


 身の危険を感じた女性は、何度も埼玉県上尾暑に足を運んだ。時には両親を伴って。しかし、警察は全く動こうともしなかった。それどころか、事件を闇へ葬ろうとした節(ふし)すら窺えた。

 しかし、私が驚いたのはそれからだった。1時間も話をしたあとだったろうか。そろそろ失礼しようかと思っていた矢先だった。雑談の中で私がポロリとこぼした言葉から、私は思いもかけない事実にぶちあたった。
「そういうえばニセ刑事まで来たそうですね。告訴を取り下げてくれとかって……」何気なくそう言った私に返ってきたご両親の返事はこうだった。
「いえ、それを言ったのは本当の刑事さんです。私達の告訴の調書を採った人です」
 一瞬私はその言葉の意味が分からなかった。どういうことだ。それでは本物の刑事が、一度受理した告訴を取り下げさせようと言ってきたというのか。何だそれは。そんなことがあるのか。
「告訴は取り下げてもまた出来るとも言ってました」
 そんなわけはない。刑事訴訟法では一度取り下げた告訴はその件で再度告訴出来ないとちゃんと書いてある。では刑事が、嘘をついてまで告訴を取り下げさせようとしたというのか。


【『桶川ストーカー殺人事件 遺言』清水潔新潮文庫、2004年/新潮社、2000年『遺言 桶川ストーカー殺人事件の深層』改題)】


 警察が犯罪を犯そうと思えば、これほど簡単なことはない。埼玉県上尾暑の刑事はマスコミに何度も嘘の情報をリークして、被害者家族を苦しめた。警察というのは、暴力を振るうことを公認された唯一の組織である。彼等が振るう暴力、彼等が垂れ流す嘘、彼等が行う意図的な不作為――これらは不問に付される。なぜなら、“捜査”という大義名分があるからだ。


 私の世代であれば、殆どの人がテレビドラマ「太陽にほえろ!」に夢中になったことだろう。こうしたドラマによって、当時小学生だった我々は「警察=正義」という価値観を刷り込まれた。昨今、放映されている「警察24時」の類いも同様の目的があると思われる。こうした番組にせっせと裏金づくりに励む警察官は絶対に出て来ない。


 函に入ったミカンは、一つが傷み始めると、あっと言う間に次々と腐り出す。政治家が腐っているから、官僚も警察も腐敗する。悪臭に気がつかなくなれば、あなたも私も腐り始めているのだ。



「パチスロ」は新しい利権だった/『警官汚職』読売新聞大阪社会部

マークース・ズーサック、西原克成、横山三四郎、遅塚忠躬


 4冊挫折。選球眼が悪くなっているようだ。


本泥棒』マークース・ズーサック/2200円でソフトカバーはないだろうよ。死神の独白に感情移入できず。


内臓が生みだす心西原克成/「はじめに」で挫けた。文章が酷過ぎる。思考が整理されていない証拠だろう。


ロスチャイルド家 ユダヤ国際財閥の興亡』横山三四郎/まるでパンフレットの文章だ。15ページで挫折。それにしても、講談社現代新書の活字は読みにくい。


フランス革命 歴史における劇薬』遅塚忠躬/半分を超えたところでやめた。説明が多過ぎて、つまらない文章になっている。革命は、思想から出発するものではなくして、生活の不満が爆発した暴力であった。

情報空間を高い視点から俯瞰する/『心の操縦術 真実のリーダーとマインドオペレーション』苫米地英人

 順序を間違えた。読み終えたのはこちらが先。『夢をかなえる洗脳力』は、やや宗教色が強いが、こちらはビジネス色が濃い。アプローチの角度を変えて2冊の本を出すのがベッチーの錬金術だ。その商魂の逞しさまで、私には魅力的に見える。「全く商売上手ね〜」と言いながら、買い物をさせられる主婦の姿と変わりがない。


 それでは、ベッチーの基本的な概念を――

 優秀なリーダーかどうかは、情報空間をいかに高い視点から俯瞰できるか、にかかっているのです。


【『心の操縦術 真実のリーダーとマインドオペレーション』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(PHP研究所、2007年/PHP文庫、2009年)以下同】

 視点を高くすると情報量は減ります。けれども、様々な状況に対処できるようになるのです。
 別の言い方をすれば、リーダーは現場よりも持っている情報は少ない。現場にしかわからない情報がある。けれども、高い視点を持っていればどんな現場にも対処できる、ということです。現場の人が経験したことのない、新たな事態への対処すら、できるわけです。

 視点を高くすることを、カント以降の分析哲学では、抽象度を上げる、と言います。


 深く頷き過ぎたため、私の頭は股間にのめり込みそうになった(嘘)。それからというもの、私の脳内では「Google Earth」の映像がフラッシュをたいたように明滅した。

 文明の発達においては、常に高さを制した者が勝利を収めてきた。旧約聖書に登場するバベルの塔も、法華経見宝塔品第十一で説かれる宝塔も巨大な様が強調されているが、高さを象徴しているとも考えられる。


 なぜ、山に登るのか?――それは人間が高さに憧れるからだ。地中にもぐろうとする人は、まずいない。「地」とは束縛・不自由を表す。地獄。自由は高いところに存在する。鳥、天女、神……。そして、運命を決めているのは星だ。ウーム、高い。


 視点を高める作業は、昨日までの自分を見下ろす営みでもある。つまり、自分の小ささを自覚できるかどうかに鍵がある。


 哲学や宗教は羅針盤に喩えられてきた。ベッチー先生の凄いところは、羅針盤に対する依存性を否定して、視点を高めることで進路を選択するよう促している点である。ゆえに「抽象度を上げる」とは、思想のインカネーション(肉化/Incarnation)とリインカネーション(再生/reIncarnation)を往復する作業なのだ。法華経で説かれる霊山会(りょうぜんえ/現実世界)と虚空会(こくうえ/悟りの世界)の虚空会に該当すると思われる。



外情報/『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
視覚と脳
視覚は高尚な感覚/『ゲーテ格言集』ゲーテ
苫米地英人
脳は宇宙であり、宇宙は脳である/『意識は傍観者である 脳の知られざる営み』デイヴィッド・イーグルマン
認知革命〜虚構を語り信じる能力/『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ