書評:小説

『雪が降る』藤原伊織

藤原伊織が亡くなった(2007年5月17日)ことを思い出し、ふと手に取ってみた。読むのは二度目だ。「確か、ミステリではなく小説だったような……」という程度の記憶しか残ってなかった。 一気に読んだ。以前は感じなかった何かが胸をよぎった。年を重ねてまと…

『渾身』川上健一

251ページの短編小説と言っておこう。隠岐島(おきのしま)で行われる相撲大会の一番が描かれている。古典相撲は、神に捧げる栄光の祭典だ。迫真の大勝負、島民の熱狂、見守る家族――どこを取っても、日本人特有の湿っぽさに包まれている。親友が産んだ琴世と…

『焼身』宮内勝典

ベトナム政府と、圧倒的な軍事力で蹂躙してくるアメリカに抗議するため、ガソリンをかぶってわが身を焼いたのだという。ふるえがきた。誇らしかった。噴きあがる炎が、まったく異なる精神のかたちに見えた。蓮の花のようなアジアの思想が、過激なまでに開花…

『となりのひと』三木卓

杉浦日向子の装丁が、内容としっくりしていて秀逸。横向きに置かれた箸。茶碗の中には水が張られ、赤い金魚が泳いでいる。ページをめくると、神経が張り巡らされたような紋様があり、中表紙には花の芯だけ赤く着色された胡蝶蘭のモノクロ写真。 この短篇集は…

世界を変えゆく信念の営み/『木を植えた人』ジャン・ジオノ

小品である。わずか42ページ。しかも文字が大きいので小一時間もあれば読めてしまう。タイトル通り、木を植えた男の物語である。 我々はどんな世界に住んでいるのだろう? 同じ社会で呼吸していても千差万別の世界が人それぞれに存在する。しかも、一人の人…

時代の波を飛び越え、天翔けた男の物語/『始祖鳥記』飯嶋和一

・『汝ふたたび故郷へ帰れず』飯嶋和一 ・『雷電本紀』飯嶋和一 ・『神無き月十番目の夜』飯嶋和一 ・時代の波を飛び越え、天翔けた男の物語 ・国産発のジェット旅客機MRJが初飛行・『黄金旅風』飯嶋和一 ・『出星前夜』飯嶋和一

ナチスに加担した女性の、悲しいほど率直な人生/『朗読者』ベルンハルト・シュリンク

あとがきによれば「ギュンター・グラスの『ブリキの太鼓』以来、ドイツ文学では最大の世界的成功を収めた作品」(週刊誌『シュピーゲル』)だそうだ。『ブリキの太鼓』を読んでないので比較のしようもないが、まあ、それほどでもあるまい。ハッキリ言って苦…

7度の推敲の跡なし/『逃げ歌』丸山健二

・『メッセージ 告白的青春論』丸山健二 ・7度の推敲の跡なし 買わなくてよかった、と心底思いながら私は本をパタンと閉じた。上巻117ページに「よしんば」が3回出てきた直後のことだ。「野郎、嘘をつきやがったな」と私は心の中で呪った。「貴様、7度の推敲…

笑ってしまうほどの凄まじい暴力/『愚連 岸和田のカオルちゃん』中場利一

あのカオルちゃんが主役である。生存している間に一度お目にかかりたいものだ。ただし近距離は遠慮したい。非合法地帯というか、暴力による民主主義とでもいう他ない岸和田が舞台。私もそれなりに悪い人間は見てきたつもりだが、中場の作品に触れると品行方…

丸山健二と『マタイ受難曲』/『虹よ、冒涜の虹よ』丸山健二

・『メッセージ 告白的青春論』丸山健二 ・丸山健二と『マタイ受難曲』 丸山健二の『虹よ、冒涜の虹よ』(新潮社)に出てくる『マタイ受難曲』を遂に聴くことができた。私が借りてきたCDは、カラヤン指揮、ベルリン・フィル・ハーモニーによる演奏である。検…

『雪のひとひら』ポール・ギャリコ

天から舞い降りてきた雪のひとひらの一生を描いた物語である。 平凡な女性の平凡な一生である。その意味で、雪のひとひらはあらゆる女性の象徴といえよう。 雪から雫(しずく)へと変化した雪のひとひらは、人生という名の川の流れに身を委ねる。出会い、結…

『さらば、山のカモメよ』丸山健二

・『さらば、山のカモメよ』丸山健二・『メッセージ 告白的青春論』丸山健二 青春時代が放つ、あの熱はどこから湧いてきてどこへ去ってゆくのか──。 丸山にしては極めて珍しい軽快な文章の小説である。エッセイで紹介されていた事柄が随分出て来るということ…

『母』松山善三、藤本潔

母性が崩壊しつつある今日こそ読まれるべき作品である。 母──この最も懐かしい代名詞が現代社会では急速に変貌しようとしている。 母性愛とは、見返りを全く期待しない掛け値なしの愛情だった。どんなに碌(ろく)でもないことをしでかそうと、母は子を受け…

『穴と海』丸山健二

・『穴と海』丸山健二・『メッセージ 告白的青春論』丸山健二 初期の短編集である。利沢行夫の解説によれば丸山にとっては3冊目の作品とのこと。昭和44年文藝春秋から発刊されたというから、著者25歳前後の作品である。表題作以下6編が収められている。 丸山…

『銀の匙』中勘助

この本はまもなく読まれなくなるだろう。 コルクの箱に収められた玩具の数々。幼い日の想い出をまざまざと蘇らせたであろう品々の中に銀の匙(さじ)があった。物語はこの銀の匙の想い出から紡ぎ出される。 前編は、主人公の出生から10歳くらいまでが描かれ…

とんだ肩透かしを食わされた話題作/『ブエノスアイレス午前零時』藤沢周

今月、河出書房より文庫化されることを知り、面白かったら人に薦めてみようと思って読んでみた。ご存じ、昨年の芥川賞受賞作品。いまだにハードカバーを平積みにしている本屋があるところを見ると、結構売れているのだろう。本書にはタイトル作品と「屋上」…

夜の闇を切り裂く義足の競歩ランナー/『19分25秒』引間徹

惜しむらくは文体が甘い。それさえ気にならなければ、充分、堪能できるだろう。私は気になるゆえ、点数が辛くならざるを得ない。 新しい集合住宅がそびえ立つ埋め立て地に、突然現れた謎の競歩ランナー。深夜の公園で、彼はオリンピック記録を上回る速さでト…

魂を射抜く、物語の気高さ/『野に降る星』丸山健二

1月29日深夜零時、読了。放心状態。言葉を失うほどの感動。心酔、では及ばない。圧倒、でも足りない。 「やってくれたな」言葉にならない言葉が胸の裡(うち)で竜巻と化す。魂を撃たれた。射抜かれたと言ってもいいだろう。昂(たか)ぶる心が夜の静寂に包…