究極のペシミスト・鹿野武一/『石原吉郎詩文集』〜「ペシミストの勇気について」


『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子
『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル:霜山徳爾訳
『それでも人生にイエスと言う』ヴィクトール・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編

 ・究極のペシミスト・鹿野武一
 ・詩は、「書くまい」とする衝動なのだ
 ・ことばを回復して行く過程のなかに失語の体験がある
 ・「棒をのんだ話 Vot tak!(そんなことだと思った)」
 ・ナット・ターナーと鹿野武一の共通点
 ・言葉を紡ぐ力
 ・「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」

『望郷と海』石原吉郎
『シベリア抑留とは何だったのか 詩人・石原吉郎のみちのり』畑谷史代
『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治
『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治
『失語と断念 石原吉郎論』内村剛介

必読書リスト その二

 石原吉郎〈いしはら・よしろう、1915-1977〉の詩・散文・日記が収録されている。岡真理著『アラブ、祈りとしての文学』(みすず書房、2008年)で「望郷と海」が紹介されていて、そこから辿り着いた一冊。

 シベリア抑留版『夜と霧』(V・E・フランクル)、あるいは『溺れるものと救われるもの』(プリーモ・レーヴィ)といっていいだろう。極限状況からの生還者は、生還後の思索によって再び極限状況を生きることになる。彼等にとっての現実は、極限状況の中にしか存在しない。彼等は常に、迫り来る死を自覚しながら生にしがみついた過去へと否応なく引き戻される。山男にとっての現実は山頂にしか存在しない。それと同様に彼等は極限状況を志向する。

 人間は追い詰められると“卑小な存在”と化す――

 入ソ直後の混乱と、受刑直後のバム地帯でのもっとも困難な状況という、ほぼ2回の淘汰の時期を経て、まがりなりにも生きのびた私たちは、年齢と性格によって多少の差はあれ、人間としては完全に「均らされた」状態にあった。私たちはほとんどおなじようなかたちで周囲に反応し、ほとんど同じ発想で行動した。私たちの言動は、シニカルで粗暴な点でおそろしく似かよっていたが、それは徹底した人間不信のなかへとじこめられて来た当然の結果であり、ながいあいだ自己の内部へ抑圧して来た強制労働への憎悪がかろうじて芽を吹き出して行く過程でもあった。おなじような条件で淘汰を切りぬけてきた私たちは、ある時期には肉体的な条件さえもが、おどろくほど似かよっていたといえる。私たちが単独な存在として自我を取りもどし、あらためて周囲の人間を見なおすためには、なおながい忍耐の期間が必要だったのである。

【『石原吉郎詩文集』石原吉郎〈いしはら・よしろう〉(講談社文芸文庫、2005年/初出は「思想の科学」1970年4月)以下同】


 これほど恐ろしい表現は他にあるまい――“均(な)らされた状態”。権力者の手によって、シベリアに抑留された人々は均された。それに加えて、堕落という重力も日常以上に強く働いたに違いない。平均化、均質化、一般化された人々は個を失う。もはや彼等は人間ではない。ただの労働力だ。

 良識も自制心も道徳心も破壊される状況にあって、一人の男が異彩の光を放った。鹿野武一〈かの・ぶいち〉その人である――

 このような環境のなかで、鹿野武一だけは、その受けとめかたにおいても、行動においても、他の受刑者とははっきりちがっていた。抑留のすべての期間を通じ、すさまじい平均化の過程のなかで、最初からまったく孤絶したかたちで発想し、行動して来た彼は、他の日本人にとって、しばしば理解しがたい、異様な存在であったにちがいない。
 しかし、のちになって思いおこしてみると、こうした彼の姿勢はなにもそのとき始まったことでなく、初めて東京の兵舎で顔をあわせたときから、帰国直後の彼の死に到るまで、つねに一貫していたと私は考える。彼の姿勢を一言でいえば、明確なペシミストであったということである。


 ここで石原吉郎が使う「ペシミスト」は、悲観論者ではなく厭世主義者の意味であろう。では、鹿野武一は具体的にどのように振る舞ったのか――

 バム地帯のような環境では、人は、ペシミストになる機会を最終的に奪われる。(人間が人間でありつづけるためには、周期的にペシミストになる機会が与えられていなければならない)。なぜなら誰かがペシミストになれば、その分だけ他の者が生きのびる機会が増すことになるからである。ここでは「生きる」という意志は、「他人よりもながく生きのこる」という発想しかとらない。バム地帯の強制労働のような条件のもとで、はっきりしたペシミストの立場をとるということは、おどろくほど勇気の要ることである。なまはんかなペシミズムは人間を崩壊させるだけである。ここでは誰でも、一日だけの希望に頼り、目をつぶってオプティミズムになるほかない。(収容所に特有の陰惨なユーモアは、このようなオプティミズムから生れる)。そのなかで鹿野は、終始明確なペシミストとして行動した、ほとんど例外的な存在だといっていい。
 後になって知ることのできた一つの例をあげてみる。たとえば、作業現場への行き帰り、囚人はかならず5列に隊伍を組まされ、その前後と左右を自動小銃を水平に構えた警備兵が行進する。行進中、もし一歩でも隊伍を離れる囚人があれば、逃亡とみなしてその場で射殺していい規則になっている。警備兵の目の前で逃亡をこころみるということは、ほとんど考えられないことであるが、実際には、しばしば行進中に囚人が射殺された。しかしそのほとんどは、行進中つまずくか足をすべらせて、列外へよろめいたために起っている。厳寒で氷のように固く凍てついた雪の上を行進するときは、とくに危険が大きい。なかでも、実戦の経験がすくないことにつよい劣等感をもっている17〜18歳の少年兵にうしろにまわられるくらい、囚人にとっていやなものはない。彼らはきっかけさえあれば、ほとんど犬を射つ程度の衝動で発砲する。
 犠牲者は当然のことながら、左と右の一列から出た。したがって整列のさい、囚人は争って中間の3列へ割りこみ、身近にいる者を外側の列へ押し出そうとする。私たちはそうすることによって、すこしでも弱い者を死に近い位置へ押しやるのである。ここでは加害者と被害者の位置が、みじかい時間のあいだにすさまじく入り乱れる。
 実際に見た者の話によると、鹿野は、どんなばあいにも進んで外側の列にならんだということである。明確なペシミストであることには勇気が要るというのは、このような態度を指している。それは、ほとんど不毛の行為であるが、彼のペシミズムの奥底には、おそらく加害と被害にたいする根源的な問い直しがあったのであろう。そしてそれは、状況のただなかにあっては、ほとんど人に伝ええない問いである。彼の行為が、周囲の囚人に奇異の感を与えたとしても、けっしてふしぎではない。彼は加害と被害という集団的発想からはっきりと自己を隔絶することによって、ペシミストとしての明晰さと精神的自立を獲得したのだと私は考える。


 鹿野武一は「世を厭(いと)い」、そして嘲笑したのだ。しかも彼は、行動をもってそれを示した。吠え立てる犬によって羊の群が同じ方向へ進む中で、鹿野武一は事もなげに反対方向を目指した。

 ここにあるのはペシミズムではない。ニヒリズムだ。私は、ニヒリズムが肯定的なユーモアを生ましめる瞬間を“ヒューマニズム”と呼びたい。石原が「ペシミズム」と表記したのは、鹿野に対する感傷が強すぎたためであろう。

 鹿野武一の生が凄まじいのは、彼は抑留された同胞に対して範を垂(た)れたわけでもなければ、何らかのメッセージを放ったわけでもないという一点に尽きる。鹿野は徹底して“個”に生きたのだ。“個”は“孤”の内側で完結している。

 それが証拠に、鹿野は誰に言うこともなく収容所内で絶食を始めた。鹿野は絶食しながら強制労働に従事した。まったく狂気の沙汰という他ない。しかし、シベリア抑留それ自体が狂気であった。すなわち、狂気が支配する世界で発揮される狂気は、正真正銘の正気となる。鹿野はたった一人で世界に向かって「異を唱えた」のだ。

 地獄の中にあって、これほどの孤高に辿り着いた人物がいた。人間がどこまで崇高になれるかを彼は示した。真の人間は、真に偉大である。

 鹿野武一は、シベリアから帰還してから1年後に急死した。まだ37歳という若さであった。



「鹿野武一」関連資料集
鹿野武一
文体とスタイル/『書く 言葉・文字・書』石川九楊
『香月泰男のおもちゃ箱』香月泰男、谷川俊太郎
「岸壁の母」菊池章子
真の人間は地獄の中から誕生する/『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』立花隆
香月泰男が見たもの/『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』立花隆
瀬島龍三はソ連のスパイ/『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行
ストア派の思想は個の中で完結/『怒りについて 他二篇』セネカ:兼利琢也訳

若きパルチザンからの鮮烈なメッセージ/『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編


『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子
『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』V・E・フランクル:霜山徳爾訳
『それでも人生にイエスと言う』V・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない これが人間か』プリーモ・レーヴィ

 ・若きパルチザンからの鮮烈なメッセージ
 ・無名の勇者たちは「イタリア万歳」と叫んで死んだ
 ・パルチザンが受けた拷問

『石原吉郎詩文集』石原吉郎

 ファシズムとはムッソリーニ率いるファシスト党(全国ファシスタ党)のイデオロギーであって、厳密にはナチズムと区別する必要がある。

 一緒くたになってしまった理由だが「(ナチズムに)敵対する社会主義共産主義陣営であるスターリンコミンテルンは、ナチズムはイタリアのファシスト党イデオロギーファシズム』の一種であると定義し、『ファシズム』と呼んだ」(Wikipedia)ためだ(社会ファシズム論)。

 先に白状しておくが、私はこのあたりの歴史に詳しくない。往々にして独裁者は政治的混乱の中から登場する(Wikipedia)が、黒シャツ隊からファシスト党への流れから見ても、ムッソリーニに対して一定数の国民からの支持があったことは確かだろう。ヒトラーもまた同様である。

 ムッソリーニは抜かりなく、ヴァチカンからの支持も取りつけた。

 本書はイタリア・パルチザンが処刑直前にのこした遺書を集めた作品だ。私は20代で一度開いたのだが読み終えることができなかった。バブル景気の余韻に浸っていたわけではなかったが、自分と同年代の死を正面から見つめることは困難を極めた。20年を経て私は彼らの父親の世代となった。我が子の最期を見届けるような思いで再び重いページを開いた。絶版となることを恐れて購入した3冊の本は真新しいままだった。

 前にも書いたが、キーボードの叩きすぎで数年前から腱鞘炎となり、近頃は右の中指がおかしくなってきた。そんなわけで以前のような入力は難しいので、細切れの書評となることをお許し願いたい。

 若きパルチザンからの鮮烈なメッセージはまず翻訳者を直撃した。今回は河島英昭の「解題」のみを紹介する。

 イタリアの民衆はファシズムの試練に耐えた。その苦しみと、戦い抜いた喜びの上に、今日のイタリアの文化は築かれている。あまりにも重いこの歴史的事実への反省なしに、私たちはイタリアの文化を語ることができない。文学もまた文化の一環である以上、反ファシズム闘争への考察を抜きにしては、それを直接の基盤とする戦後イタリアの文学を、語ることができない。と同時に、イタリアの文学を検討する場合には、敢えて言うが、たとえばルネサンス文学の研究をするときにさえも、この視点をはずすわけにはいかない。ダンテを論ずるときにも、ペトラルカ研究を行なうさいにも、あるいはマンゾーニを紹介するときにも、この視点をはずして、私たちの文学的営為は一歩も前へ進めないだろう。
 なぜならば、ファシズムの試練に耐えた今日のイタリアの文化が、絶えまなく、私たち自身の文化への反省を促すからであり、また他の文化への考察を進めれば進めるほど自国の文化への反省は深まってゆき、ある意味では外国の文化の研究ほど自国の文化の脆弱な基盤を明るみに引きだすものはないからである。その危うい緊張関係において、文学者もまたおのれの研究の基盤を築かねばならないのであり、虚ろな象牙の塔に籠って文化を説くことの滑稽さを、私たちは承知しているつもりだ。
 しかしながら、いつまでも覚えておこうと決意する、永遠の瞬間が、たちまちに日常の雑事の波間に見失われていくように、私たちはとかく歴史的事実のあいだに埋めこまれた真実を忘れがちである。戦後三十数年を経て、日本におけるイタリア文化の研究や紹介も、乏しいながら種は播かれた、と言ってよいであろう。そしてその望ましい種を実らせるためにも、彼我の文化の土壌になるべき反ファシズム闘争の差異を、その貴重な経験の有無を、ここに改めて確認しておく必要がある。そのために、ささやかながら、私たちは本書を訳出した。しかも私たちの意図は、いわば外面から考察を加える、状況や運動の研究あるいは分析に対して、民衆の個々人の心のなかのありさまを内面から少しでも明らかにしたい、という点にある。文学もまた、その固有な方法によって、歴史における文化研究の一端を、担わねばならないであろう。

【『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編:河島英昭、他訳(冨山房百科文庫、1983年)「解題」河島英昭、以下同】


 力のこもった名文である。私は兼ね兼ね冨山房(ふざんぼう)が出版界の良心であると思ってきたが、まったくもって冨山房に相応(ふさわ)しい名調子だ。

 河島の視点はパルチザンをイエスになぞらえる。歴史紀元の基準をパルチザンに合わせよ、というのだから当然だ。それゆえ分水嶺という言葉は正確ではない。パルチザンに至る過去と、パルチザン以降の未来を分かつのだから、それはゼロ地点を意味する。

 それは断じて抵抗ではなかった。ファシズムへの攻撃であった、と「序」のなかでE・E・アニョレッティは書いている。「いまは慣例に従って、イタリアにおける解放運動を〈レジスタンス〉と呼んでおこう。だが、それが抵抗ではなく、あくまでも攻撃であり、主体的な行動であり、理念上の革新であって、何ものかを【保持しようとする試みでなかった】ことだけは、決して忘れないようにしたい」(本書8ページ、傍点は引用者)。この言葉には、みずから立ちあがって戦い抜いた者たちの、自信が漲(みなぎ)っている。そしてその結果の上に、イタリアの民衆は戦後の新しい文化を築いた。政治的にはまず国民投票によって君主制が廃止され、共和制が確立されたのである。


 その意気やよし。ここにイタリア抵抗運動の魂がある。ファシズムやナチズムがスタイリッシュであったのに対し、多くのパルチザンは普段着であった。彼らを歌った作品も朴訥なリズムの曲が大半だ。着の身着のままで立ち上がったところに彼らの強みがある。

 それにしても、イタリアにおいて、なぜ反ファシズム闘争が可能であったのか? 本書の《手紙》の老若男女の書き手たちは、どのようにして個人の苦しみと歴史の苦しみによく耐えたのか? この疑問に対する答えは、掛け替えのないこれらの魂の記録の一篇一篇の行間に、いわば無限の深淵となって、垣間(かいま)見えるであろう。それらを覗(のぞ)きこむたびに、私たちは目の眩(くら)む思いがする。それはあたかもすぐれた詩に出会ったときの衝撃に似ている。一瞬後に、私たちは閉じたおのれの瞼(まぶた)の裏に、永遠の暗い輪を認めるであろう。死が永遠であるがゆえに、それは死から発せられた一つの答えだ。思うに、本書ほど死の影に満ちみちた記録は少ない。しかも個々の戦士は、みずからの意志で、死に立ち向かったのである。


 V・E・フランクルプリーモ・レーヴィは生き延びた。だから彼らが書いた悲惨な経験にはまだ救いがある。しかし本書の手紙はその全てが遺書なのだ。情報の圧縮度が桁違いであることは言うまでもない。「最期の言葉」が400ページ上下二段に渡って綴られているのだ。中途半端な根性で読み終えることができるわけがない。死にゆく彼らの手を握る覚悟が読者に求められるのだ。

 1920年代から40年代にかけて、イタリアの民衆はファシズムから反ファシズムへと、激しい思想の変革を遂げた。もちろん、A・グラムシやP・ゴペッティのように、すぐれた思想家や知識人たちが果たした指導的役割の重要なことは、言うまでもない。しかし、それに劣らず重要なのは、民衆が彼ら自身の生活のなかで、結果的に思想の変革を果たしたという事実である。その変革は日々のなかでの、個々人の精神の軌跡が、そして彼らの共通の理想を支えた叙事詩的クリフが、本書のなかには読みとれるであろう。


 確かにそうであろう。だが歴史を文学的に形容するだけでは物足りない。やはり厳密な情報分析と複雑系的アプローチが必要だ。

歴史が人を生むのか、人が歴史をつくるのか?/『歴史は「べき乗則」で動く 種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学』マーク・ブキャナン

 最後に、不幸にしてイタリアの民衆と同じく、困難な状況下におかれた日本人にとって、昭和18(1943)年から昭和20(1945)年にかけて、抵抗運動が、ましてや解放闘争が、ほとんど存在しなかった事実を、確認しておかねばならない。この甚だしく不幸な時期にあって、いわば体制の犠牲者としての魂が、なかったわけではない(たとえば『きけわだつみのこえ』のように)。だが、私たちは苦しい共感をもってそれらの記録に接することがあっても、それらが〈レジスタンス〉の記録で【なかった】ことだけは忘れないでおきたい。なぜならば、彼らの銃口は――たとえば学徒動員された兵士のそれは――【別の方角】へ向けられていたのであるから。本書の手紙本文や略歴から容易に読みとれることだが、イタリア抵抗運動のパルチザン兵のなかには、正規軍からの脱走者が数多く含まれていた。銃口の向きを変えるためには、おのれの肉体の消滅を賭けて、思想の変革を果たさなければならない。


 奇しくも今日のツイートで『きけ わだつみのこえ』を紹介した。

近藤道生と木村久夫/『きけ わだつみのこえ 日本戦没学生の手記』日本戦没学生記念会編

 苦労というものは固有のものである。他人が軽々しく論じることは避けるべきだろう。しかし河島の指摘は我々日本人の肺腑(はいふ)を貫き、深い自省を促す。我々は罪を問うこともなく、罰を連合軍に委ね、「過ちは 繰返しませぬから」と国民の連帯責任にすることで戦争の罪科を水割りのように薄めてしまった。

 つまり日本におけるファシズムが実はまだ終わっていない可能性がある。河島が「銃口の向きを変える」と書いているのはそのことだ。

 抵抗運動とは何か? それは殺されることを意味する。

画像(※ハングルのためイタリアかどうかは不明)
Partisan:画像検索

 一朝事ある時に私は立ち上がれるだろうか? 「立て!」と若きパルチザンの叱声が耳の中で谺(こだま)する。

原題は『これが人間か』/『アウシュヴィッツは終わらない これが人間か』プリーモ・レーヴィ


『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子
『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』V・E・フランクル:霜山徳爾訳
『それでも人生にイエスと言う』V・E・フランクル

 ・原題は『これが人間か』

『休戦』プリーモ・レーヴィ
『溺れるものと救われるもの』プリーモ・レーヴィ
『プリーモ・レーヴィへの旅 アウシュヴィッツは終わるのか?』徐京植
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編
『石原吉郎詩文集』石原吉郎
『私の身に起きたこと とあるウイグル人女性の証言』清水ともみ
『命がけの証言』清水ともみ

 だが、これは、人間が絶対的な幸福にたどりつけないことを示すよりも、むしろ、不幸な状態がいかに複雑なものか、十分に理解されていないことを表わしている。不幸の原因は多様で、段階的に配置されているが、人は十分な知識がないため、その原因をただ一つに限定してしまうのだ。つまり最も大きな原因に帰してしまう。ところが、やがていつかこの原因は姿を消す。するとその背後にもう一つ別の原因が見えてきて、苦しいほどの驚きを味わう。だが実際には、別の原因が一続きも控えているのだ。
 だから冬の間中は寒さだけが敵と思えたのに、それが終わるやいなや、私たちは飢えていることに気づく。そして同じ誤りを繰り返して、今日はこう言うのだ。「もし飢えがなかったら!……」
 だが飢えがないことなど、考えられない。ラーゲルとは飢えなのだ。私たちは飢えそのもの、生ける飢えなのだ。

【『アウシュヴィッツは終わらない これが人間か』プリーモ・レーヴィ:竹山博英訳(朝日新聞出版、2017年/朝日選書、1980年『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』改題、改訂完全版)】


 27歳の青年が著した手記である。彼はアウシュヴィッツを生き延びた。そして67歳で自殺した(事故説もあり)。遺著となった『溺れるものと救われるもの』を私は二度読もうとしたが挫折した。行間に立ちこめる死の匂いに耐えられないためだ。

 本書の文章には不思議な透明感がある。それはプリーモ・レーヴィが化学者であったからというよりは、自己の経験を突き放して見つめる彼の態度にあるのだろう。


 地獄で問われるのは「生存の意味」だ。「死んだ方が楽な世界」を生き延びた人は実存を問い続ける。そこに浅はかな希望が入り込む余地はない。現実はかくも厳しい。

「私たちは飢えそのもの、生ける飢えなのだ」――この一言は紛(まが)うことなき悟りである。我々の日常において欲望をここまで真摯に見つめることはまずない。飢えの自覚は食べ物に対して無量の感謝を育んだことだろう。我々にはそれがないからいとも簡単に残し、捨てるのだ。


 当然ではあるが『夜と霧』V・E・フランクルを必ず読むこと。池田香代子訳が望ましい。イタリアのレジスタンスを知るために『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編も。それと『石原吉郎詩文集石原吉郎も併せて。順番は特に指定しない。



ドキュメンタリー「アウシュビッツ」
ジェノサイドの恐ろしさ/『望郷と海』石原吉郎

「生きる意味」を問うなかれ/『それでも人生にイエスと言う』ヴィクトール・E・フランクル


『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子
『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル

 ・「生きる意味」を問うなかれ

『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編
『石原吉郎詩文集』石原吉郎

必読書リスト その二

 アウシュヴィッツを生き延びた男は実に静かで穏やかだった。彼は地獄で何を感じ、絶望の果てに何を見出したのか? 本書にはその一端が述べられている。

 5月後半の課題図書。前半は『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』であった。やはりこの二冊はセットで読むべきだろう。

 ナチス強制収容所フランクルが悟ったのは、生の意味を問う観点を劇的に転換することであった――

 ここでまたおわかりいただけたでしょう。私たちが「生きる意味があるか」と問うのは、はじめから誤っているのです。つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。【人生こそが問いを出し私たちに問いを提起している】からです。【私たちは問われている存在なのです】。私たちは、人生がたえずそのときそのときに出す問い、「人生の問い」に答えなければならない、答を出さなければならない存在なのです。【生きること自体】、問われていることにほかなりません。私たちが生きていくことは答えることにほかなりません。そしてそれは、生きていることに責任を担うことです。

【『それでも人生にイエスと言う』ヴィクトール・E・フランクル:山田邦男、松田美佳訳(春秋社、1993年)以下同】


 牛馬のように働かされ、虫けらみたいに殺される世界に「生きる意味」など存在しなかった。ひょっとしたら、「死ぬ意味」すらなかったかもしれない。それでも彼等は生きていた。生きる意味がゼロを超えマイナスに落ち込んだ時、「問い」はメタ化し異なる次元へ至ったのだ。問う人は「問われる存在」と変貌した。今日を生きることは、今日に答えることとなった。この瞬間にフランクルは死を超越したといっていいだろう。

 私たちはさまざまなやり方で、人生を意味のあるものにできます。活動することによって、また愛することによって、そして最後に苦悩することによってです。苦悩することによってというのは、たとえ、さまざまな人生の可能性が制約を受け、行動と愛によって価値を実現することができなくなっても、そうした制約に対してどのような態度をとり、どうふるまうか、そうした制約をうけた苦悩をどう引き受けるか、こうしたすべての点で、価値を実現することがまだできるからです。


「どうふるまうか」――そこに自由があった。「ふるまう自由」があったのだ。ベトナムの戦争捕虜として2714日を耐えぬき、英雄的に生還したアメリカ海軍副将ジェイムズ・B・ストックデールの体験もそれを雄弁に物語っている――

・死線を越えたコミュニケーション/『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル

 恵まれた環境に自由があるのではない。自由は足下(そっか)にあるのだ。

 ですから、私たちは、どんな場合でも、自分の身に起こる運命を自分なりに形成することができます。「なにかを行うこと、なにかに耐えることのどちらかで高められない事態はない」とゲーテはいっています。【それが可能なら運命を変える、それが不可避なら進んで運命を引き受ける、そのどちらかなのです】。


 どんな苛酷な運命に遭遇しても選択肢は二つ残されていることをフランクルは教えている。運命を蹴飛ばすか背負うかのどちらかだ。

 逆境の中でそう思うことは難しい。行き詰まった時に人間の本性は噴水のように現れるものだ。いざとなったら見苦しい態度をとることも決して珍しくはない。

 食べるものも満足になく、シャワーを浴びることもままならず、仲間が次々と殺される中で、フランクルはこれほどの高みにたどり着いた。その事実に激しく胸を打たれる。

【苦難と死は、人生を無意味なものにはしません。そもそも、苦難と死こそが人生を意味のあるものにするのです】。人生に重い意味を与えているのは、この世で人生が一回きりだということ、私たちの生涯が取り返しのつかないものであること、人生を満ち足りたものにする行為も、人生をまっとうしない行為もすべてやりなおしがきかないということにほかならないのです。  けれども、人生に重みを与えているのは、【ひとりひとりの人生が一回きりだ】ということだけではありません。一日一日、一時間一時間、一瞬一瞬が一回きりだということも、【人生におそろしくもすばらしい責任の重みを負わせている】のです。その一回きりの要求が実現されなかった、いずれにしても実現されなかった時間は、失われたのです。


 生そのものに意味があったのだ。生きることそれ自体が祝福であった。これがフランクルの悟りである。生の灯(ともしび)が消えかかる中でつかみ取った不動の確信であった。生と死は渾然一体となって分かち難く結びついた。生きることは、瞬間瞬間に死ぬことでもあったのだ。生も死も輝きながら自分を照らしていた。

 絶体絶命の危地にあっても尚、我々は「人生にイエス」と言うことが可能なのだ。フランクルは人類の可能性を広げた。心の底からそう思う。




自殺は悪ではない/『日々是修行 現代人のための仏教100話』佐々木閑

ナチスはありとあらゆる人間性を破壊した/『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル


『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
・『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子

 ・ナチスはありとあらゆる人間性を破壊した
 ・極限状況を観察する視点
 ・生きるためなら屍肉も貪る

『それでも人生にイエスと言う』ヴィクトール・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編
『石原吉郎詩文集』石原吉郎
『私の身に起きたこと とあるウイグル人女性の証言』清水ともみ
『命がけの証言』清水ともみ

必読書リスト その二

 ナチス強制収容所といえば本書。既に古典の風格がある。20代半ばで読んだが、自分の知らない“世界と歴史”にたじろいだことを、今でもよく覚えている。

 相手を虫けら同然と認識してしまえば、人間はどこまでも残酷になれる。

 収容者は石を抱かせられ、肥料の中で溺れさせられ、鞭で打たれ、飢えさせられ、去勢され、そして輪姦されたりした。しかしそれだけではなかった。入墨をしている者は薬剤所に報告するように命令された。(中略)その肌に入墨師の技両を発揮したすばらしい彫刻を持っている連中は留置され、それからカポーの一人であるカール・ベイグスの命令による注射で殺されてしまったのである。
 この死体は病理部に引き渡され、そこで皮膚をはがされて処分された。処理を終えた人間の皮は司令官の妻イルゼ・ゴッホに下げ渡されたが、彼女はそれでランプの傘やブックカバーや手袋を造った。(※ブッヒェンワルト収容所)

【『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル:霜山徳爾〈しもやま・とくじ〉訳(みすず書房、1956年/新版、1985年/池田香代子訳、2002年)】


「♪かあ〜さんがぁ〜夜なべぇ〜をして、てぶく〜ろ編んでくれたぁ〜」――で、それは人間の皮でできていたって話だ。こんなリサイクルが許されていいはずがない。

 正義というものはわかりやすくなくてはいけない、という私の信条に基づけば、鬼畜の如き所業を為した者には同程度以上の苦痛を与えた上で、死をもって償わせる必要があると考える。

 ここで一つ重要な問題が発生する。ナチスドイツが行ったであろう残虐な行為を私が検証できないことだ。つまり、私が殺意を抱いているのは、飽くまでも「書籍から得た情報」によるものであり、この点において、「ゲルマン民族のみが優れているという情報」を鵜呑みにして、ジプシー、身体障害者ユダヤ人を殺戮したナチスドイツと何ら変わりがない。

 つまり、だ。人間という動物は情報次第で、簡単に人を殺すことができるという事実が浮き彫りになる。何と恐ろしいことだろう。

 タイトルの『夜と霧』は、「夜陰に乗じ、霧に紛れて人々が連れ去られ消された歴史的暗部を比喩」したものとされている。ところがどっこい、私はそうは読まない。『夜と霧』は情報が遮断された状態のメタファーだと考える。

 イスラム文化圏には現在でも「名誉の殺人」という風習が根強く残っている。2007年には、17歳のクルド人少女が家族や親戚の手で殺された動画がネット上にアップされた。少女は衆人環視の中で散々殴る蹴るの暴行を加えられ、大きな石が頭に叩きつけられた。少女の頭部から大量の血が流れ、動かなくなってからも暴行がやむことはなかった。

 人間は愚かだ。愚かであるからこそ歴史は繰り返される。カンボジアではポル・ポト政権が、ルワンダではフツ族がそれを証明した。

 情報を吟味するためには、強靭な知性と豊かな想像力が不可欠だ。そのために、私は今日も本を手に取ろう。